ヴィジュアル☆ベトナム/2015年4月向けのイメージ/AN IMAGE FOR APRIL 2015

Visual_201505_Pith helmetPhoto © Sue Hajdu visual4月にベトナム戦争終結と南北ベトナム統一が40周年を迎えるにあたり、メディアには多くの歴史的イメージが現れることだろう。この戦争を日本や西欧から見ていた人にとって最も代表的なものは、ヘリコプターとストラップがだらりと垂れ下がった米国製ヘルメットではないか。 今でさえ、西欧中心のメディアではこれらが戦争の主な視覚的表現となっている。だが戦争に関わってきた共産圏や北ベトナム人自身にとっては、何か別のものであったに違いない。私が思うに、それはヘルメット帽をかぶった北の兵士だったのではないだろうか。さらに1975年以降、緑色のヘルメット帽「ムーコーイ/Mu Coi」は確実にベトナム軍の象徴となった。今でも兵士がかぶるほか、北部ではシクロ運転手や労働者がよく身につけている。 19世紀に登場したヘルメット帽は最初、熱帯地域にあるヨーロッパ各国の植民地の軍隊と警察用に支給されていた。素材のクサネムの髄は、柔らかくスポンジ状の繊維だ。前や後ろにひさしがあるタイプや、フランス式では幅広いつばと通気用のリベットが付いたタイプもある。ヘルメット帽は、水に入ることや湿ったままかぶることを想定して作られた。熱帯の暑さを最小限に抑えるのにぴったりなことから、すぐに女性や子どもを含む一般人からも人気となり、1950年代まで熱帯地域での正装またはカジュアルウェアとなった。 ヴォー・グエン・ザップ(Vo Nguyen Giap)将軍が武装宣伝旅団(ベトナム解放軍の前身)を結成する1944年の写真には、私の勘違いでなければ、式典に参列する同志たちの中にヘルメット帽の者もいる。第一次インドシナ戦争でベトミンがかぶったヘルメット帽は、とても丸い形で、カモフラージュとして網や枝葉で覆われていた。数年後、ベトナム人はコルクでヘルメット帽を作り始めた。いくつかのデザインを経て、1960年代と1970年代には北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線の兵士たちがかぶっていた。 1975年春の全面攻撃開始で、北ベトナム軍は南部ベトナムへ進攻し、街は次々とサイゴンに向かう行軍の手に落ちていった。大勢の人が、勝利の戦車と軍隊を見ようと通りに集まった。その大半は前線に近づいたことがなく、おそらく北の兵士とその緑色のヘルメット帽を目にするのは初めてだっただろう。彼らのその時の感情は、なんとなく想像できる。 かぶり物としてはとても軽いベトナムのヘルメット帽は、今はプラスチック製だ。熱帯の太陽との虫から兵士を守ってくれる程度で、飛んでくる弾丸は無理。私にとって、このシンプルで安価な物は、共産ベトナムの不屈の精神と機知へのオマージュだ。北が戦った長い戦争の品不足と、いかに人間の意図と戦略が大量の物的資源と技術にさえ勝ることを、痛切に想起させる。2015年4月、このシンプルな物は記憶のイメージとして、どれほど登場するだろうか。
Sue Hajdu スー・ハイドゥー オーストラリア人文筆家、和英翻訳者、写真家。シドニー大学日本学の学士号、同大学院視覚芸術の修士号をもつ。 ベトナムと日本でアーティストとして15年ほど活動。 ウェブサイト:www.suehajdu.com
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