#44 Đường Trần Quang Khải/チャンクアンカーイ通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

Tran Quang Khai2

モンゴル軍撃退で活躍した 大越陳朝の皇子

チャン・クアン・カーイ(Tran Quang Khai/陳光啓、1241~1294年)は、 大越チャン(Tran/陳)朝(1225~1400年)時代の皇子で将軍。チエウ・ミン・ダイ・ヴオン(Chieu Minh Dai Vuong/昭明大王)とも呼ばれ、陳朝初代皇帝のチャン・ターイ・トン(Tran Thai Tong/陳太宗)の第3子、第2代皇帝チャン・タイン・トン(Tran Thanh Tong/陳聖宗)の実弟でもある。モンゴル軍(元朝)がベトナムを侵攻した際、陳朝の王族で将軍のチャン・フン・ダオ(Tran Hung Dao/陳興道)と共に重要な役割を果たし、大越軍を勝利に導いた。 幼い頃から勉学に励んだ陳光啓は1261年、20歳で太尉に任じられ、正式に朝廷の職務に携わる。1282年末には太師の座に就き、軍事と行政の両方で権力を有するようになった。 1285年、モンゴル軍が大越を侵攻(第2次)し、陳朝の首都タンロン(Thang Long/昇龍)が占拠された。しかし、大越軍の総司令官に命じられた陳興道の指揮と陳光啓の尽力のもと、大越軍はゲリラ戦や食料調達の妨害などによりモンゴル軍を撤退に追い込んで首都を奪還し勝利した。陳光啓は、モンゴル軍による侵攻後も1294年に死去するまで朝廷に仕え続けた。 博学な人物で、文学や詩を書き残した。中でもモンゴル軍の第2次侵攻での勝利を記念して編集した詩集『従駕還京/Tung Gia Hoan Kinh』は、陳朝時代の民族意識を表すものとして今なお知られている。 現在、ハノイやホーチミン市をはじめ多くの省・市に、チャン・クアン・カーイの名を冠した通りが存在している。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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