ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介
モンゴル軍の第二次侵攻で活躍
国への忠誠を貫いた愛国者の象徴
チャン・ビン・チョン(Tran Binh Trong/陳平仲、1259~1285年)は、大越チャン(Tran/陳)朝(1225~1400年)時代の将軍。1285年のモンゴル軍の第2次侵攻で第2代皇帝チャン・タイン・トン(Tran Thanh Tong/陳聖宗)と第3代皇帝チャン・ニャン・トン(Tran Nhan Tong/陳仁宗)を守るという大きな功績を残した。彼の言動はベトナムにおける愛国者の象徴となっており、英雄として知られている。
現在のハーナム(Ha Nam)省タインリエム(Thanh Liem)県生まれ。陳朝の初代皇帝チャン・ターイ・トン(Tran Thai Tong/陳太宗)の娘と結婚し、後に生まれた娘の1人は、陳朝第5代皇帝チャン・ミン・トン(Tran Minh Tong/陳明宗)の母となった。
1285年1月、元軍の北ベトナム攻撃が始まって間もなく、陳朝の首都タンロン(Thang Long/昇龍)は元軍に占拠された。しかし、大越軍はゲリラ戦や食料調達の妨害などにより元軍を撤退に追い込み、6月に首都を奪還して勝利。戦いの中で、総司令官チャン・フン・ダオ(Tran Hung Dao/陳興道)の任命により2人の皇帝が安全に逃げられるよう元軍の侵攻を阻止したが、同年2月、元軍に捕えられた。
何としても陳朝の情報を得たかった元軍は、交換条件としてチャン・ビン・チョンに中国で一国の王の地位を与えることを提案したが「北の国で王になるよりも、南の国で霊になったほうがましだ」と答えたという。最後まで元軍に屈することなく国と皇帝への忠誠を守り通し、処刑された。26歳だった。
ハノイやホーチミン市、クアンニン省ハロン、同省ウオンビー(Uong Bi)などには、チャン・ビン・チョンの名を冠した通りがある。
石井 彩子
元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。