#37 Đường Trường Chinh/チュオン・チン通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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激動の時代に数々の要職を歴任ドイモイへの道を築いた政治家

チュオン・チン(Truong Chinh、1907年2月9日~1988年9月30日)は、要職を歴任した政治家。インドシナ共産党第5代書記長(1941~1945年)、ベトナム労働党初代第一書記(1951~1956年)、ベトナム民主共和国第4代国会常務委員会議長(1960~1976年)、ベトナム社会主義共和国初代国会議長(1976~1981年)、現在の国家主席に相当する国家評議会議長(1981~1987年)、ベトナム共産党第2代書記長(1986年7~12月)を務めた。 ナムディン(Nam Dinh)省スアンチュオン(Xuan Truong)県生まれ。学生時代から革命活動に参加し、1927年にハノイへ移り「ベトナム青年革命同志会」に入会。1929年には同会を脱退した急進派から成る「インドシナ共産党」の設立運動に関わり、初期メンバーの1人となったが、翌年末フランス当局に逮捕され、1936年に釈放された。 1940年、インドシナ共産党中央執行委員に選出され、翌年第5代書記長に就任。1945年8月の八月革命では、革命を指導したホー・チ・ミン民族解放委員会主席(当時)を裏で支えた。1951年、ベトナム労働党(インドシナ共産党から改名)初代第一書記に就任。1958年からは副首相や国会議長、国家評議会議長、党書記長などの要職を歴任した。 1986年7月、ベトナム共産党初代書記長のレ・ズアン(Le Duan)の死去に伴い、第2代書記長に就任したが、同年末の第6回党大会で退任。同大会では、「ドイモイ(Doi Moi/刷新)政策」が提起され、ベトナムが新たな時代に突入した。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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