#26 Đường Ngô Đức Kế/ゴードゥックケー通り

ベトナム全国の通りには、歴史上の出来事や重要人物の名前などがつけられている。よく耳にする通り名の意味や由来について紹介

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植民地時代の詩人・記者 官僚の道を外れ愛国活動に傾倒

vn-history-logoゴー・ドゥック・ケー(1878~1929年12月10日)は、フランス植民地時代の詩人・記者で、愛国者。本名はゴー・ビン・ヴィエン(Ngo Binh Vien)。現在のハーティン(Ha Tinh)省カンロック(Can Loc)県で、グエン(Nguyen/阮)朝(1802~1945年)の官僚一族の息子として生まれた。 1901年、殿試(科挙の最終試験)に2番目の成績で合格するも、ベトナム人青年を日本に留学させる「東遊(ドンズー)運動」と反仏独立運動の指導者だったファン・ボイ・チャウ(Phan Boi Chau)らと関わるようになり、官僚の道から外れて愛国活動に傾倒していった。ファン・ボイ・チャウは、日本からベトナムへ帰国するたびにゴー・ドゥック・ケーと連絡を取っていたという。 1908年、フランスに逮捕され、バリア・ヴンタウ(Ba Ria-Vung Tau)省コンダオ(Con Dao)島に流刑となった。1921年に釈放、翌年から1927年の廃刊までハノイで商工会の「友青(フータイン/Huu Thanh)新聞」の主筆を務めた。同新聞にも掲載していた彼の詩は、犠牲になった同志を称えるなど国の維新運動をテーマとしたものが中心で、青年らの愛国心を目覚めさせることにも繋がったという。1929年12月10日、ハノイで死去。51歳だった。 フランス植民地時代、ホーチミン市1区のゴードゥックケー通りは、2つの区間に分けて「ヴァニエール(Vannier)通り」および「フレール・ドニ(Freres Denis)通り」と呼ばれていた。1955年から2つの区間を合わせて1本の通りとし、現在の「ゴードゥックケー通り」へ改名された。現在、同市のほか、生まれ故郷のハーティン省をはじめとする全国各地の通りにその名が冠されている。 石井 彩子 元ベトナム考古学徒。考古学はライフワーク。日々、どローカルなベトナムライフを満喫中。
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