ヴィジュアル☆ベトナム/アーティストの探究と実験/ARTISTS’ QUESTIONS AND EXPERIMENTS

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ア・リトルブラブラ(a little blah blah)主催「雨季がやって来るまでの窓」より、『日曜のスーパーヒーロー/Sunday's Superhero)、チャン・ミン・ドゥック(Tran Minh Duc)、2010年。©Sue Hajdu 2度にわたってアーティストイニシアティヴの活力と、彼らが直面する問題について述べた。なぜ現代アーティストたちが非営利的スタンスにこだわるのか、なぜ作品を売って生活しないのか疑問に思う人もいるだろう。 これを語るために、前号で触れた2つの点、非営利スタンスの基盤と、新しいアイデアを試す自由な場としてのアーティストイニシアティヴについて話を膨らませたい。

visual何年もの間、私は商業体系に組み入れられることを頑なに固辞する「やっかいなアーティスト」の一人だった。市場を変えようと努め、非営利スタンスに固執するより、市場の需要に屈する方がもちろん、ずっと簡単だ。だが私が手掛けていたアートの方がずっと刺激的だったのだ。 一般的に、作品を売れやすくするには、一般人に分かりやすい作品を創らなくてはならない。ベトナムの場合、「一般」の大半が観光市場であり、ある意味、在住外国人もそこに含まれる。つまり「ベトナムの思い出」となるものが求められるのだ。よってギャラリーは、僧侶、アオザイ、ハノイの路地などベトナムの描写で溢れかえる。だが、現代アートでは「たやすい」ものに対して懐疑的だ。   また現代アートは、「描写の事業」というより「思考の事業」であることも理由の1つだと思う。あるアイデアを、文字ではなく視覚的に解きほどく哲学の一種が現代アートだと考えれば、分かりやすいだろう。   その結果、コンセプチュアル(概念)アーティストは、哲学者のように、まず問題提起から始め、それを深く追求して問いを投げかける。当たり前のレベル以上のレベルに至るまで取り組む必要があるので、それはつらく孤独な作業だ。   アーティストランイニシアティヴは、自由な実験の場となることが多い。素材ではなく、アイデアを試すという意味だ。論点は、世界についての思い込みを疑うこと。当たり前だと思っている世界に「裂け目」を作り、絶え間のない不安定さをもたらす。この不安定な世界では、意味も崩壊する。探究と、疑いと不安定化の世界は、アーティストにとって崇高で、刺激的で面白いのだが、一般消費者が求めているものは「探究」ではなく「肯定」なのだと思う。   彼らは「何を意味するのか」を知って初めて安心する。代わりにアーティストはこう言うだろう。「この問題に関する疑問の一部を表現した。この新しい命題に意味を与えるのは、あなたの責任だ」と。   分かりやすい描写の「たやすい」世界において、アーティストは彼らの厳密なアイデアが薄められることを恐れる。安直や軽薄では、失敗なのだ。もちろん、ギャラリーの家賃を払うために作品を売る必要がなければ、この実験はもっと楽。だから短い時間であっても、そんな実験が許される場は、商業的な世界の代替として魅力的に映る。当然、それが唯一の選択肢である場合もある。
initiatives-smallオープンスタジオで作品について語るアーチー・ピッチーニ(Archie Pizzini)。©Sue Hajdu
Sue Hajdu スー・ハイドゥー オーストラリア人アーティスト、写真家、文筆家としてベトナムと日本で活動。シドニー大学日本学の学士号、同大学院視覚芸術の修士号をもつ。 ウエブサイト:www.suehajdu.com Facebook:Sue.Hajdu.Projects
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