<ベトナム芸能界珍道中>
愉快・痛快・ウキウキ★SAKAI
最終話:俺はベトナムと日本の架け橋になる!
そこで俺の提案で「ベトナムの今を伝える写真展」を開催。まずは現状を知ってもらうことが狙いだ。さらにベトナムの障がい児が作った雑貨のプレゼント、WADAのベトナム月琴演奏、アオザイ試着、ベトナムコーヒー配布などを行った。多数のメディアに取り上げられたことで、多くの人たちが足を運んでくれた。
イベントの後は、写真展で集まった募金をハノイの枯葉剤障がい者施設「平和村」などに届けた。ドクさんとも再会し、ツーズー病院にある彼の部屋で、俺とWADA、テュエンさん、看護師を含めて今後のことについて話し合った。
その結果、俺の地元でNPO法人を立ち上げ、ドクさんを特別顧問に迎え、支援活動の幅を広げながら、彼と「シクロ」で平和を願う曲を作り、音楽を通じた平和活動を始めることが決まった。俺とWADAは日本とベトナムを往復しながらドクさんとの曲作りに取り組んだ。
そんな中、兄ベトさんが26歳という若さで他界してしまった。
「ベトさんの死を無駄にしないため、悲しみの連鎖を断ち切るために、CDを出して障がいで苦しんでいる人達に売上げを寄付したい」
俺はそう強く誓った。
そして遂に俺が作詞、WADAが作曲、そしてドクさんが日本語で歌う『天使のはしご』が完成した。このプロジェクトには、タイン・タオ(Thanh Thao)、グエン・フィー・フン(Nguyen Phi Hung)、クアン・ズン(Quang Dung)、そして俺たちの師匠ゴック・ソンなど、ベトナム人著名歌手10名が無償で協力してくれた。
「ベトが悲しむから、笑顔で歌わなければならないんだ」
ドクさんはそう言い、天使になった兄へ向けて一生懸命歌うのだった。
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