<ベトナム芸能界珍道中>
愉快・痛快・ウキウキ★SAKAI
第7話:ついに破門!帰国。そしてWADAまでも…。
その夜、緊急会議が開かれた。そこにはなぜかWADAもいた。スターへの道を順調に歩んでいたんじゃなかったのか?
プロデューサーは平謝りしながら。
「SAKAIをクビにするのは勘弁してほしい」
と、絶対に許さない!という頑なな態度の師匠に懇願する。
「SAKAIはまだ未熟な人間です。このWADAをつけて弟子を2人にしますので、もう1度だけSAKAIにチャンスを与えてください」
とプロデューサーは頭を下げる。師匠ははじめ、さすがに戸惑ってはいたものの、
「SAKAI、トテモアタマワルイ、モウイチド、ベンキョウ」
と、仏の顔も3度まで?なのかどうか、渋々納得してくれたみたいだった。しかしお陰でWADAと一緒に弟子として活動する羽目になった。
唯一の救いは、今回揉めたことで、内弟子ではなく日本側の事務所からの通い弟子になったことだ。師匠との共同生活から開放されると思うと、かなり嬉しかった。
それにしても、順風満帆にスター路線を進んでいたはずのWADAがなぜ、この緊急会議の場にいたのか。俺には不思議でならなかった。
俺がゴック・ソンの弟子の日本人ダンサーとしてコンサートツアーに参加している頃、WADAは、ベトナムの人気アイドルを大勢抱える有名芸能プロダクションに所属して活動していた。プロダクションの社長のお気に入りとなったWADAは、実績もないのにいきなり有名企業のプロモーションビデオに主演モデルとして出演。さらにはCDジャケットやビデオのカバーにも大きく掲載されていたのだ。
だが話を聞くと、どうやら彼も色々とフラストレーションが溜まっていたらしい。毎夜の如く「ゲイ能界」の面々に誘われたうえ、それを断固拒否し続けていたら、プロダクションからクビにされてしまったとのこと。
俺の師匠は見た目こそハードゲイでも、野性的かつ本能のおもむくままに生きる女好き。それで俺はある意味、助かったのかも知れない。
さて、ゴック・ソンの新弟子としてWADAが投入されたことで、ようやく俺はダンサー卒業。2人そろって、師匠の歌のバックコーラスを務めるというポジションを得ることが出来た。
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(2007年9月号 | 2007年9月21日 金曜日 10:36 JST更新) |