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だが本来なら「絶妙な」ハーモニーになるはずが、俺が入ると「微妙な」ハーモニーになる。だから師匠に怒られる。認めたくはないが、WADAは俺よりも歌が上手い。でも俺は、 「スターは俺1人で十分なんだ」 と、年下のWADAに対して敵意をむき出し、がむしゃらに歌った。ハーモニーや楽曲のバランス、コンサートの演出なども、まったく無視して、ひたすら自分の存在をアピールしまくってた。 師匠がしんみり歌っているにも関わらず、何万人もの観客の前で興奮している俺は、出番でもないのにステージの脇で勝手に踊り、歌いまくった。師匠よりも俺こそ本当のスターなんだと感じていた。 そんな日々が2ヶ月程続いたある日、いつものようにコンサートツアーへ行くために、俺とWADAは師匠邸のロビーで待機していた。そこでは家政婦や運転手が何やら世間話をしながら、俺の方を見てはニヤニヤ笑っている。 俺は、軽蔑の視線を浴びせかけられているような気がして、 「どうせ、みんなで俺のことをバカにしているんだろ」 と、さらにイライラが募った結果、 「てめえら、ぶっ殺すぞ」 と言い放ち、目の前にあった師匠の扇風機を蹴り壊した。 「SAKAI、ナニシテル?」 まるで出番を伺っていたようなタイミングで、師匠が登場。俺は片言のベトナム語で得意の言い訳を並べてみるが、弁解の余地なし。その場で師匠に容赦なく破門を言い渡されてしまった。 ちなみにWADAは内心、 「ざまあみろ」 と思っていたらしい。 数日後、日本人プロデューサーから日本行き片道航空チケットを手渡された俺は、独り寂しく日本へ帰った。 強制送還させられた俺は、お金も住む家もないホームレス。「スターになれずに帰国しました」なんて、恥ずかしくて誰にも言えない。 仕方なく知人の家に身を潜めて1ヶ月が経った頃、WADAが師匠の携帯を紛失し、師匠に殴られ日本に帰国していたことを知ったのだった。 (2007年9月号 | 2007年9月21日 金曜日 10:36 JST更新) |
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