|  1833年、ミンマン帝により創建。高さ17m、幅58m。真上から見るとU字形になるが、これは客人を迎える意味があるとか
 午門  皇帝専用!堂々の「正門」
                        
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                          |  | 門を見上げると、扁額(へんがく)に「午門」の文字がくっきり。1945年、最後の皇帝バオダイが、門の2階「五鳳凰楼」で自らの退位を宣言、グエン朝は終焉を迎えた |  
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                          |  | (左)「五鳳凰楼」のなかには、グエン朝時代の官吏登用試験合格者の名前が碑の形で残る。試験は1822年に始まり、1919年まで続いた。合格者の少なさがその厳しさを物語る (右)皇帝は「五鳳凰楼」に座し、閲兵(えっぺい)式などに臨んだ。その光景は楼内の壁画に詳しい。ここから望まれる高い城壁はフランス伝来のヴォーバン(Vauban)様式
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                          |  |  漁師チュンさん(以下「漁」)「ありゃ立派なとこだよ、ここ。王宮ってわけだな?」 ミンマン帝(以下「帝」)「おいお前、そこから入ってはいけない。午門であるぞ」 漁「はあ、そう言うあんたは誰で?けっこうなお召し物ですが」 帝「予はグエン朝第2代皇帝、ミンマン帝である。午門の正面通路は、予を含めてグエン朝の皇帝13人だけが使えるのである。外国の使節も通れるがな」 漁「へへぇ、庶民NGってわけですな。じゃ、皇帝さま以外の人はどっから入るんです?」 帝「官吏の場合、午門に向かって右が文官、左が武官。両端は、兵士と象・馬用である」 漁「で、何でこの門、『正門』じゃねえんですか? 正面ならそれでいいと思いますがね」 帝「『午』は『昼』の他、南も意味する。午門も王宮の建物も南向きに建てられており、皇帝は常に南向きだ。『聖人南面して天下を聴き――』これが風水の考え方である」 漁「聖人ってどなたのことでしょう?」 帝「当然皇帝である!特別なのだぞ、皇帝は。あとは、昼には太陽が午門の上に来るようになっている。こんないわれがあるから『正門』ではいけないのだ」 |