汚いものが美しい?
汚いものや古くさいものが絵になる。そう考えてしまうのは写真家としての習性だと思う。発展めざましいサイゴンの街。今、追いやられ消えようとしているものに惹かれている。それは築100年を超えたボロアパートだったり、邪魔者扱いされはじめたシクロだったり。そして、新しく架かった橋から望む古い街並みだったりする。
その橋は、サイゴン川からチョロンに続く小さな川に架かり、1区と4区を結んでいる。高架から見下ろせるその場所は、私にとっての撮影ポイントでもある。夕方ともなるとその橋の上は夕涼みの場になる。でも、下を流れる川の水は真っ黒で異臭を放ち、もちろん子供達が泳ぐことはない。荷物を満載した船が行き交うことが、かろうじて果たしている川の役目だろうか。
そして、今この川の周囲の風景が大きく変わろうとしている。川の両側に建っていた掘っ立て小屋は、きれいさっぱり取り払われ更地になっている。遊歩道ができるのか、家が建つのか知らないが、私好みの被写体でなくなるのは間違いないだろう。
高度経済成長でいろんな風景を失ってしまった日本人。同じようなことがベトナムでも始まっている。おそらくベトナム人には "他人の国にやってきて汚いものばかり写して喜んでいるカメラマン" なんてどうにも理解できないだろう。でも近い将来、すっかりこの街が変わりきってしまった頃、こんな写真を見てなにかを思い起こす。そんな一枚になってくれるものと信じ、飽きもせずに汚い川に通っている。
文・写真=福井隆也(ベトナム在住写真家の日々是撮影)
撮影地(Saigon)
(ベトナムスケッチ2003年10月号) |