<ベトナム芸能界珍道中>
愉快・痛快・ウキウキ★SAKAI
第10話:バンド崩壊!? そして新たなる出発
☆前回までのあらすじ☆
3年振りにベトナムの地を踏み、師匠ゴック・ソンとの再会を果たしたSAKAI。ゴック・ソンのコンサートへ出演し、なぜだかついでにチヤホヤされて、気分はもうトップアイドル。そして帰国後、本格デビューに備え、バンドを結成することに…。
日本で売れるべく俺が結成したバンド。しかし実態は、ベトナムへ行く前に組んでいたユニットの10歳年上の相方を誘ったがために、自然と彼がリーダーとなり、演奏する曲も彼の意向だけで決められた。
確かに良い曲も多くて素晴らしいソングライターだとは思うが、俺のベトナム経験をことごとく否定する彼。新しいギタリスト探しにも否定的な彼。何よりもパチンコとビールが大好きな彼。そんな彼の存在が鬱陶しくて仕方なかった。
そこでぜんぜん前に進もうとしないリーダーを無視し、俺は独断でWADAをリハーサルスタジオに呼んだ。WADAは、ちゃんとバンドのオリジナル曲(と言っても作ったのは、そのリーダー)をコピーしてくれていた。しかもWADAアレンジまで入っている。ドラマーとベーシスト、そして俺と新ギタリストWADAの4人でセッションを試してみた。
色々弾いてみたり、今後を話し合ってみたりもした。リーダーがいない今、このバンドは俺のモノ。なんて思ったのも束の間、突然ドラマーが
「もうSAKAI君にはついていけない」
と脱退を表明した。
ライブをやる度に次のライブのスケジュールを当然のように入れる俺。ド素人なのに無理やりドラマーに仕立て上げられた彼。もう前進するのみで猶予を与えない俺と一緒にバンドは出来ないとのこと。
すでに次のライブが決まっているのに、なぜかバンドは崩壊寸前。だが、知り合いのビジュアル系バンドのドラマーをサポートとして迎えた俺は、ライブを何とか乗りきった。WADAが参加してくれたおかげで、俺のやりたいベトナムPOPSをバンドアレンジで歌う事が出来た。予想以上にヘヴィなロックになった。
実はこのバンド名こそ「xych-lo(シクロ)」であり、俺自身の最初で最後のバンドとしてのライブだった。本当は「xich-lo」なのだが、単純に俺のスペル登録ミス。しかし、このバンド名が後に俺の人生で大きな意味を占めるとはこの時、これっぽっちも思っていなかった。
やっぱり俺は一匹狼、独りで自由に行動するのが合っているみたいだ。メンバーのペースや気持ちまで考える余裕なんて、俺にはない。しかし、その崩壊寸前バンドでベースを弾いてくれていたのが、この連載でも協力してくれるkickey。俺をバンドの道へ引き込んだり、WADAを新ギタリストとして呼べばいいと言ってくれたのも実はその彼だ。ここぞという時にキッパリと意見してくれる。イイ奴だ。そんな彼が、WADAと俺でユニットという2人ボーカルで活動した方が、俺色のベトナムを前面に押し出せるのではないか、と言ってきた。
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(2008年3月号 | 2008年3月24日 月曜日 11:10 JST更新) |