<ベトナム芸能界珍道中>
愉快・痛快・ウキウキ★SAKAI
第6話:俺は音痴…。歌手への道は閉ざされた!?
その後、コンサートのステージ上では師匠が、
「弟子の日本人ダンサーだ」
と俺を紹介するようになり、皮肉にも「ゴック・ソンの弟子は日本人ダンサー」というイメージは定着していった。
ところで師匠との巡業では、ベトナム南部ならホーチミン市、ミトー(My Tho)、カントー(Can Tho)、フーコック(Phu Quoc)島、中部はダナン(Da Nang)、フエ(Hue)、ニャチャン(Nha Trang)、ホイアン(Hoi An)等、実に200ヶ所以上の町を訪れ、コンサートに参加した。
それだけまわっていると、ラム・チューン(Lam Truong)、ダン・チューン(Dan Truong)、ミー・タム(My Tam)など、たくさんの有名歌手と出会い交流する機会も増える。
そんなツアーでは、たとえダンサーとしてだろうと、1万人クラスの大ホールに出演したり、師匠のおかげで皆がチヤホヤしてくれたりして、「有名人」みたいなVIP待遇を受けるので、とても楽しくて仕方がなかった。日本にいたらきっと味わえなかった日々の中で、俺は徐々に天狗になっていた。
だが、楽あれば苦あり。甘い話には罠がつき物だ。
ある日のコンサート終了後、出演者たちでトランプをしていたら、とある男性歌手に、
「ブラザー、ブラザー」
と話かけられ、からまれた上、最終的には強引にベッドに引きずり込まれかけてしまったのだ。
俺が拒否しても、
「嘘をつくな。おまえは男が好きなんだ」
としつこく迫られる…。
この業界、俺には興味のないゲイから逃げ回るのも、仕事のヒトツみたいだ。師匠が俺と同じ女好きで助かった。だから、俺の芸は成長しないのかも知れないが(?)。
ちなみにそのブラザーは、今では立派な歌手になっているらしい。
そして、そんなゲイ能界は、エリートコースを順調に歩んでいたWADAの身にも襲い掛かっていたのだった…
文★SAKAI
協力★kickey
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(2007年7月号/2007年7月27日 金曜日 10:49 JST更新) |