<ベトナム芸能界珍道中>
愉快・痛快・ウキウキ★SAKAI
第1話:俺ってすごい?!憧れのベトナムデビュー
「ベトナムに連れて行く歌手を募集している」という情報を得たのは2000年秋のこと。小さな芸能プロダクションに所属していた21歳の俺は、社長からこの話を聞いて即座に「行きたい!」と思った。
中学時代にV6をテレビで観てアイドルに憧れ、高卒で家出同然で上京。「スターになりたい!」その一心で、がむしゃらに芸能界にしがみついていた俺。さっそく近所のカラオケボックスでKinki Kidsの「青の時代」と、ゆずの「いつか」を録音し、他の書類などと一緒に社長に渡した。
「書類審査合格」の連絡が入ったのは、そのわずか2日後。「早っ!俺ってすげえな」と喜ぶ反面、俺ってカッコいいし当然だろうという余裕もあった。なぜかこの時点で、自分の中ではベトナム行きがすでに確定しており、早速アパート解約の手続きを進め、知人の家に家具を送り、「ベトナムで歌手になる」ってメールを出しまくった。
そして面接当日。
「やはりスターといえば星!そして黄色だろう」と、星柄のリュックに、上下黄色のナイロン製ジャージ姿で気合を入れて面接に向かった。緊張感は全くなし。
面接会場で待っていたのは、髪の生え方に若干違和感がある50歳位のオジサン(ベトナムで芸能プロダクションを経営するプロデューサー)と、冷酷な感じのインテリメガネをかけた30歳位の男性(今回のプロジェクトのスポンサー)。ダンス経験の有無や、ベトナムでの芸能生活に対するやる気などを尋ねられた。
マシンガントークでベトナムを延々と熱く語るプロデューサーと、寡黙で品定めするかのような視線を向けてくるスポンサー。
何でもいいからアカペラで歌ってくれと言うので、自分の持ち歌1番人気曲「Shining Star」を披露。俺がノリノリで歌っていると、「あっ、もういいよ。」と止められ、ちょっと凹んだのを覚えている。
それから1か月。年も越すというのに連絡が来ない。
アパートは解約間近で、徐々に不安が増してくる。ひとまず、面接してもらった2人に一般的な新年のご挨拶として年賀状を出しておいた。
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(2006年9月号/2006年9月26日 火曜日 10:49JST更新) |