ホアンキエ厶区でたどる「八月革命」の記憶

ホアンキエ厶区でたどる「八月革命」の記憶

ホアンキエ厶区でたどる「八月革命」の記憶
1945年8月14日以降、ベトナム独立同盟会が総蜂起し、ベトナム民主共和国の誕生へとつながっていった「八月革命」。ベトナムの歴史を語る上で、最も重要な出来事の1つだ。ハノイ中心部ホアンキエム(Hoan Kiem)区に残る史跡を散歩し、当時の空気を感じてみよう。

ベトミン軍が最初に占拠した場所の1つ

北部府
Bac Bo Phu

八月革命の成功の後、ホー・チ・ミン主席の臨時政府の本拠地となった。現在、改修された建物は、「政府迎賓館/Nha Khach Chinh Phu」として使われている

フランス統治政権が1918年に建てたもので、北部を統治するフランス人総督の官邸だった。1945年8月には、日本軍の支援を受けた親日政権(チャン・チョン・キム内閣/Noi Cac Tran Trong Kim)の政庁となり、当時のハノイでは日本主導の統治の象徴とされた。八月革命ではベトナム独立同盟会(ベトミン/Viet Minh)勢力が鉄柵を越えて突入し、最初に占拠した場所の1つとなった。

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フランス領インドシナ副総督の記念碑が、革命政権の出発点に

“ヒキガエル”公園
Vuon Hoa Con Coc

現在、この公園は、昼間はプレウェディング写真の撮影スポットとしても知られている。また、夜には市民が楽しそうにダンスを踊る様子が見られる

1901年、公園の中央に物故したインドシナ副総督を顕彰する石柱が建てられ、それを囲む形でユニークな形の噴水が造られた。この噴水にちなみ、「ヒキガエル(Con Coc)公園」の名で市民にも親しまれている。
 1945年8月19日夜、北部共産党委員会が北部およびハノイ革命人民委員会の設立を決定。翌20日、国民に向けて正式にその発足を宣言した「革命政権の始まりの地」である。

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歴史の痕跡が、現代建築の一部に

保安兵舎の門
Cong Trai Bao An Binh

フランス人建築家による設計ながら、「現地保安隊/Garde Indigène」の文字が残り、反り返った屋根や龍・鳳凰の装飾など、ベトナム寺院の様式を持つ

 19世紀末、フランス軍の支援と治安維持を担った現地部隊の駐屯地に、日本軍が進駐し、保安兵舎として接収した。1945年8月、ベトミン軍が北部府を制圧後、この兵舎を掌握。その直後、日本軍が戦車4台と数百名の兵を動員して包囲するが、交渉の末に日本軍は撤退し、兵舎は解体された。今では門のみが残され、現代的な「ホーグオム劇場/Nha Hat Ho Guom」の建築の一部となっている。

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Cong Trai Bao An Binh

ホー・チ・ミン主席がベトナム独立宣言を起草した家 

48番地ハンガン通りの家
Nha So Bon Tam Hang Ngang

当時使ったタイプライター、1945年9/2にホー・チ・ミン主席が独立宣言を読み上げた際に着用していた服などを展示。店主の家族はこの家をベトナム政府に寄付した

 旧市街にある3階建の家屋は、当時ハノイ最大級の絹店「フックロイ/Phuc Loi」店主夫妻の邸宅であったが、その2階をホー・チ・ミン主席と共産党幹部たちに居住・執務スペースとして提供していた。1945年8月25日~9月2日までの間、ホー・チ・ミン主席は、「ベトナム独立宣言」の原稿をここで執筆したとされる。現在、記念館として公開され、原稿を書いたとされる机などが展示されている。

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Nha So Bon Tam Hang Ngang

住所:48 Hang Ngang St., Hoan Kiem Dist.
営業時間:8:00~18:00(日によって異なる)
休日:土・日曜
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