2024.10.01

代々続く商家の人々が語る

今昔ハノイ旧市街

今昔ハノイ旧市街
ホアンキエム(Hoàn Kiếm)区の中心にあるハノイ旧市街は、11世紀の李朝(Nhà Lý)時代にタンロン(Thăng Long /昇龍)城の東側に生まれた。朝廷への献上品を作るため、城の周辺には各工芸村から職人たちが集められ、同業者の集まり「坊/Phường」を形成。金や銀細工、錫、扇子、紙、シルクなど、扱う製品(Hàng)の名がそのまま通り名となった。15世紀からは華僑が住みはじめ、19世紀後半以降の仏領時代はフレンチヴィラが建てられるなど、往時の面影はほぼ残っていない。だが時代や商売が変わっても商人たちはこの街でたくましく生きている。


※記事の情報は2024年8月取材時点のものです
※現地情報により内容が異なる場合があります
参考:Tạp Chí Người Hà Nộiなど
目次

冥器通り
Hàng Mã <ハンマー>

道を飾る色とりどりの装飾品は
子どもの頃の美しい思い出

全長:380mほど|幅さ:8m|地区:Hang Ma Ward, Hoan Kiem Dist., Hanoi|販売商品:紙製冥器、おもちゃ、装飾品、文房具など

グエン・フィー・フオンさん
Nguyễn Phi Phương
ハンマー通り43番地の家の前にある装飾品・おもちゃ専門店の店主。ハンマー通りの古い家屋で生まれ育ち、3世代にわたってこの街で商売をしている。店名のないフオンさんの“店”は、中秋節のおもちゃの「五芒星ランタン/Đèn Ông Sao」(1万5000VND)など季節ごとのおもちゃや装飾品が家の前の歩道に1年中並べられている
死者や神々に供えるために、本物そっくりな紙製品や竹の模型の「冥器」を販売する専門街がハンマー通りだ。20世紀初頭には、かつてのタンカーイ(Tân Khai)村[現在のハンサット(Hàng Sắt)通りやコンドゥック(Cổng Đục)通り]の人たちが作っていた、お金を模した紙や、土地神様の帽子などの小さな冥器が売られていた。時が経つにつれ、通りの品揃えは大きく変化していった。

「子どもの頃、この辺りでは冥器のほかに、中秋節に飾る鯉の提灯や、お正月テト(Tết)用の紙製の造花なども販売されていました。現在では冥器も取り扱っていますが、子どものおもちゃや季節ごとの装飾品が中心です。売れ行きが落ちたため、今は家族では冥器を作っていません」とフオンさんは語る。

欧米から伝わったハロウィン、クリスマスなどのシーズンになると、それに合わせて各商店が華やかに店を飾る今のハンマー通りは、若者や観光客のインスタ映えスポットとして有名だ。
「50年以上前に、私が小さい頃にはそれほど混雑していませんでした。テトや中秋節の時期を除けば、この通りはかなり静かでした」

1960年代に生まれたフオンさん。当時はベトナム戦争の真っ最中で経済も発展していなかったため、ハンマー通りが賑やかでなかったのは当然だろう。多くの変化があっても、ハンマー通りが何世代にもわたって子どもたちに愛され続けていることに替わりはない。

「今では、おもちゃや装飾品は、どの地元の市場でも買えますが、ハノイの人々は中秋節やテトの時期になると、賑やかな雰囲気を求めてハンマー通りに集まります。この通りは、多くの世代にとって美しい子ども時代の思い出を与えてきたのだと信じています」

20世紀以前、ハンマー通りは2つの村の境界にあり、トーリック(Tô Lịch)川の支流がこれらの村を隔てていた。現在、川は埋め立てられたが、向かい合う2列の家は、かつての2つの村に属する土地にあたるとされている

手作りの冥器を販売する店は年々減っている。一方で、規模は小さいながら、車、スマートフォン、高級ブランドのバッグなど、現代の生活用品を模した冥器も作り出されており、ここからも時代の流れが感じられる

このあたりの建物は、住居が店舗の上階にあるか、幅が1mにも満たない狭い路地の奥にあるのが一般的。不便さから家を売却や賃貸に出す人が多いが、家を売れば家族の生計が成り立たなくなる人がいるのも現実だ

インスタ映えスポットとして多くの人々が写真を撮りに訪れるため、大規模な装飾が街の至る所で見られるようになった。スマートフォンでの自撮りだけでなく、わざわざプロのカメラマンを雇って撮影にのぞむ人も

扇通り
Hàng Quạt <ハンクアット>

貴重な木工職人が今に残る
祈りを込めた木製祭具の街

全長:200mほど|幅さ:8m|地区:Hang Gai Ward, Hoan Kiem Dist., Hanoi|販売商品:木製祭壇、祭壇用の写真立て、燈明、木型、香炉、5つの同心正方形がある正方形の旗の「五行旗/Cờ Ngũ Sắc」、「五行旗/Cờ Ngũ Hành」などの冠婚葬祭用の旗など

ファム・ヴァン・クアンさん
Phạm Văn Quang
祖父が1960年代にハンクアット通りで開店した木製家具の専門店で、木工職人として祭壇や祭具を作り始めた。その後、父親と共に、この店を引き継いだ。現在は木型の制作に専念し、とくに中秋節の月餅用の型作りで40年以上の経験をもつ。木型はどれも非常に精巧な作りで、米国やオランダの大使館からの依頼で印章や木型を作成したことがある。
ハンクアット通りは、もともと3つあった小さな通りが1945年に合併してできた。西側は手作り扇を販売した旧ハンクアット(扇)通りで、中央は木製楽器を扱っていたハンダン(弦楽器/Hàng Đàn)通り、東側は馬や水牛の尾毛を使って刺繍や織物を作る職人たちが住んだマーヴィー(Mã Vĩ/馬尾)通りだ。仏領時代にもフランス語で「扇通り/Rue des Eventails」と名付けられたが、現在は、扇は売られていない。

クアンさんは、「自分は木くずの山から生まれたようなもの」だと話す。というのも、彼の家族は3代にわたって木工業を営んできたからだ。20世紀以前、ハンクアット通りは木工業と楽器製造で有名だったが、次第に木製の祭具や神輿の専門街へと変わっていった。ハノイのトゥオンティン(Thường Tín)県にある木製品村のニケー(Nhị Khê)村出身の祖父は、木工業が盛んなハンクアット通りに魅せられて、1960年代にこの場所に店を開いた。

「昔、道路は石で舗装されていて、主に牛や馬が荷車を引いて商品を運んでいたものです。店の扉を開けると、牛や馬の糞が普通にそこにありました」
今からは想像しがたい当時の様子だが、もはや木工品だけを販売する店はほとんど残っておらず、主に祭具や電灯、陶器の香炉、旗などが売られている。クアンさんの店は、木工品を作りながら販売する数少ない店の1つ。職人は鯉、バラの花など昔ながらの意匠で制作するのみならず、新しいデザインを生み出すことが求められる。仕事が多忙を極め、「かつては食事も忘れて夢中に木型を作り続けた時期もありました」と語る。

「自分の技術を活かした木型の美しさを、次の世代に伝えていきたいです。外国人観光客が作品を見て喜んでくださって、その作品の意味に耳を傾けていただけることが何よりの幸せです」
近く70歳を迎えようというクアンさんは、現役を退いて次の世代に技術を伝えようと決心したものの、まだ後継者は見つかっていない。
「社会が変わっていく中で、生き残れる業種や製品が変わっていくのは当然のことでもありますから」

木型の製作は、木材選びも大切。柔らかすぎると模様がすり減り、硬すぎると型が欠けやすくなる。柔らかすぎず硬すぎず、ちょうど良いバランスを保っているアシュ(Xà Cừ)やカバイロクロガキ(Thị)を使用する。店の壁には様々な木型がぎっしりと展示されている

12㎡の古い部屋は、店舗兼作業場として使われている。長年使い込まれた古い道具から、クアンバー(Quảng Bá)寺の蓮のレリーフを再現した小さな月餅の型など多くの作品が生まれてきた

クアンさんがおすすめするのは、堂々とした姿と穏やかな表情のベトナムの神虎が描かれた版画。「安平小大、家路保護/An bình tiểu đại, gia lộ hộ bản」と彫られており、家族の大小さまざまな事が順調に進み、全員が守られて平安であるようにとの願いが込められている

ベトナムの家庭の祭壇に使われる祭祀用具が揃う。とくに、仏壇、木製の写真立て、龍を描いた磁器の香炉が多い

ハンクアット通りには印鑑専門店「フックロイ/Phúc Lợi」があり、多くの日本語ガイドブックで紹介されている。日本人の名前が刻まれた印鑑がたくさん

一般的な冠婚葬祭で使われる旗のほかに、最近では小さなベトナム国旗も販売されており、観光客に人気だそうだ

錫通り
Hàng Thiếc <ハンティエック>

100年以上も変わらず
金属を打つ賑やかな音が響く

全長:144mほど|幅さ:6m|地区:Hang Gai Ward, Hoan Kiem Dist., Hanoi
販売商品:家庭・業務用の錫・ブリキ・アルミ・ステンレス製品

グエン・ティ・ロアンさん
Nguyễn Thị Loan
ハンティエック通り11番地の家の前にある、家庭用の金属製品店の店主。家族が4世代にわたって住んでいる自宅の前で、コーヒーのドリッパーや錫製のケーキ型、家庭用のステンレス製品などを販売している。親戚の職人が作った鉄製のおもちゃの船が自慢の品。
ハンティエック(錫製品)通りは、今でもその名のとおり錫製品を扱い続けるハノイ旧市街でも数少ない専門街の1つだ。全長150mに満たない通りのあちこちで、カンカンカンと金属を打つ音や溶接機の音が響き渡り、住民たちは忙しそうに働いている。

錫製品の専門店を営むロアンさんは1955年にハンティエック通りで生まれた。

「この通りは昔から錫製品や、鉄を錫メッキしたブリキ(Sắt Tây)製品が作られてきました。今ではステンレス製品の取り扱いが大半ですね」

かつて、この通りには、ハードン(Hà Đông)やトゥオンティン(Thường Tín)などハノイ郊外から人々が集まり、錫製の香炉や茶器を置くお盆、急須などを作って販売していた。フランス統治時代(1884~1945年)には、フランス人が持ち込んだブリキ製の灯油缶の空き缶を使った洗濯桶やひしゃく、水汲み桶などが作られた。その後、住民たちはアルミやトタン、最近ではステンレスなど、さまざまな金属で家庭用品を作るようになったという。

「昔と違い、多くの人が家を売ってロンビエン(Long Biên)区などの郊外に移ったり、家を貸し出したりしています。それでも依然として金属加工の仕事を続けるために、この通りに通っているんです」

道路沿いに建ち並ぶ店舗は、面積は約15〜20㎡。その多くが改装や建て直され、昔ながらの風情はほとんど残っていない。景色こそ変われど、住民は高齢者だけでなく、3代目、4代目となる若者たちも祖先から受け継いだ職業を守り続けている。

「私自身は、どんなに時代が変わっていっても、ハンティエック通りは昔のままでいるのだと感じています」
ロアンさんは落ち着いた口調でそう話してくれた。

水に浮かべられるブリキ製舟のおもちゃ(10万VND~)は、ここの定番商品で、1990年代の中秋節には非常に人気があった。ハノイのクオントゥオン(Khương Thượng)村の職人がすべて手作りしているもので、材料は牛乳パックや塗料缶など。プラスチックのおもちゃとの競争が激しくなり、このブリキの舟を扱う店は減少し、今では主にお土産として購入される

鍋やフライパン、おたまなどの家庭用品だけでなく、焼き網やグリルなどの調理器具も揃う。フォー屋でよく見かける、スープを煮こむ大鍋もここで買われたのかもしれない。ハノイの「かっぱ橋道具街」のような場所で地元の人だけでなく、外国人観光客もよく訪れる

店の前で手作業に集中する職人たち。彼らはとても親切で、写真を撮らせてくれる。おしゃべりにはあまり興味がないようだ

この通りには華やかさも情緒もない。ハノイ旧市街の素朴な生活や仕事のリアルがある

ランオン通り
Lãn Ông <ランオン>

あたりに生薬の香りが漂う
ベトナム伝統医療が息づく街

全長:180mほど|幅さ:6m|地区:Hang Bo Ward, Hoan Kiem Dist., Hanoi
販売商品:中国やベトナムの生薬

「南薬/Thuốc Nam」と呼ばれるベトナム漢方の専門店「ギーフンロン/Nghi Hưng Long」の店主。ナムディン(Nam Định)省出身でハノイ薬科大学を卒業。1902年からランオン通りで東洋医学の診療所を営んできた家族に嫁ぎ、1990年代から夫の実家の店で働き始めた。3人の息子のうち、2人とその妻は東洋医学を学び、家業を継承している。
1945年にベトナム民主共和国が成立するまで、この通りは中国の福建省からの移民が住んでおり、「福建通り/Phố Phúc Kiến」と呼ばれていた。主に中国人の医師たちが中国医学(中医)の診療所を営んでいた場所だ。1949年、政府は通り名を、ベトナムの名医ハーイ・トゥオン・ラン・オン(Hải Thượng Lãn Ông/海上懶翁、1720~1791年)にちなんで、「ランオン通り」に変更した。
マイさんは、当時のことをこう話す。

「義理の両親はナムディン省出身で、中国人から調薬を学ぶためにこの通りにやって来ました。昔はベトナム人はほとんど住んでいなかったそうです。しかし1945年以降、中国人が帰国し始め、ベトナム人が商売を始めて徐々に混在するようになりました。そして越中国境戦争が起こった1979年以降、この通りには中国人がいなくなり、ベトナム人が診療所を開き、生薬を売るようになりました」

マイさんの義理の両親は、現在のランオン通り69番地にある路地に小さな家を借り、東洋医学による整形外科の診療所を開設した。今ではマイさんの三男がその診療所で医師として働いている。
「最近では、オンラインショッピングが主流となり、通りの商売は以前より難しくなっています。通りの約1/4がレストランやカフェになりました。各家族は今でも生薬を販売していますが、診察や処方の技術を持つ人は少なくなっています」

かつてこの通りの人々は、先代から受け継いだ経験を基に働いていたが、資格を持っている人は少なく、マイさんは資格取得を勧めている。また、彼女は東洋医学を学ぶ大学生を受け入れて、次世代に技術を伝える活動を行っている。

「時代が変わる中、私たちも変化に対応していく必要があります」
マイさんはベトナム漢方を改良し、錠剤やティーバッグ入りのハーブティーを作るなど新たな試みに挑戦している。また、古い診療所にお茶を楽しむスペースや足湯コーナーを設け、外国人観光客がこの通りを訪れ、歴史を感じたり、薬草を体験したりできる場を提供しようとしている。

昔の「福建通り」は、中医の診療所が集まる場所だった。患者は、隣の通りで中国漢方「北薬/Thuốc Bắc」の薬を購入したため、「北薬通り」と名付けられた。北薬、南薬を販売している専門店が非常に少ない

この通りで最も有名な観光スポットは、1917年に中国人によって建てられた「福建会館/Hội Quán Phúc Kiến」。かつては、中国の商人や医師たちが会議を行う場所だった。現在は、文化イベントの開催で利用される。会館内には20世紀初頭の「福建通り」の写真が展示されている

1979年以前、35、36、57などの番地の家には、いずれも中国人が住んでいた。現在は約40軒の東洋医学の診療所や生薬の店があり、いずれもベトナム人が経営している。30年以上も通い続ける常連客もいるという

竹ざるやガラスケースには様々な生薬が並ぶ。通り全体に漢方薬の香りが漂う

ランオン通りの店で、東洋医学の学生が実習する様子

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