仲佐 修二 さん
庭師、「庭のとき」代表

仲佐 修二 さん<br>庭師、「庭のとき」代表

ベトナムのパートナーと共に 世界レベルの庭を造りたい

会いたい人に会いに行く
すべてはそこから始まった
「どんな人に出会えるかが大切ですね。だから自分で会いにいくし、引き寄せられる」

40歳手前から自らの行動を変え、今では日本とベトナムで造園を手掛ける庭師がいる。島根県の庭師の家に生まれた仲佐修二さんだ。

出雲松江藩のお抱え庭師が確立した「出雲流庭園」の文化が根付く土地に育ち、老舗の造園会社での勤務を経て、実家の造園業を36歳のときに継いだ。

「主な仕事は庭の管理や剪定で、造園は1年に1回程度。庭を造りたい自分には物足りなく思っていました」

父親とは喧嘩しながらも次第に腕を上げ、老舗旅館の造園の仕事も決まって「調子にのっていた」39歳の時、転機が訪れた。全国の庭師が集まるシンポジウムに誘われたのだ。

「 “庭師の芸能人”のような職人たちの存在感に圧倒されました。作庭理念、人柄、実際に作った庭…。有名になった人は何をもっているのか、自分に足りないものを知りたいと強く思いました」

これを機に全国各地の腕のある職人たちに会いに行くように。折しも老舗旅館の仕事が雑誌などに取り上げられ、造園の依頼が増えて行った。

「講演会などにも参加しました。そういう場に自分をおく必要があると思ったんです」

世界に出ていくには
世界でできる人とやらないと
ある日、旅館の庭をフェイスブックで見たというベトナム人から連絡があった。造園会社の社長で日本人庭師を探しているという。

「『お前は庭が作れるか? 滝と池は作れるか?』みたいな感じで。『お話に行きます』と伝えたら航空券を送ってくれました」

やってきたホーチミン市では、いきなり庭を造るよう頼まれた。

「1週間の予定で用意もないし迷いましたが、結局そのままやると決めました」

スタッフは6人ほど。道具はなく、言葉も通じない。3日目には社長と喧嘩になった。

「1人でここまで来ているのに、と思うと悔しくて泣きました。でも『お前ももっと強くなれ』と言われて(笑)。今でも続けられるのは、この一言があったからです」

4日で完成させた庭を見た社長は、「いいものができた。今後も協力してほしい」と言い、将来についてこう語った。

「“モアモアビッグ”、もっと大きくなりたい、と。香港、ドバイ、シンガポールで庭を造りたいと彼は言ったんです。世界に出たい自分の目標とぴったり一致していました」

今ではパートナーとなった彼の要望を受けて日本でデザインをし、造園が始まったらベトナムへ。1回で2~3の案件が同時進行する。他にも話が来るようになり、中東の造園プロジェクトの親方の1人にも選ばれた。

「いま僕の周りには、海外に出たい庭師さんがいっぱいいて、僕たちが世界で必要とされている場所がたくさんある。だからこそ、海外でやっていることを見せなきゃと思っています」

仲佐 修二 なかさ しゅうじ  

1977年島根県生まれ。摂南大学工学部土木工学科卒業。家業の「仲佐造園」を36歳で継ぎ、「庭のとき」として再スタート。島根を拠点に旅館、ホテル、寺院、店舗、住宅の造園を手掛けるほか、ベトナムで住宅や工業団地の造園に携わる。
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