ヴィジュアル☆ベトナム/リトル・オデッサと、ベトナムの姿/LITTLE ODESSA AND THE LOOK OF VIETNAM

cccp new visual先月、サイゴンの堪え難い暑さから逃げるため、ビーチ近くのエアコンの効いたホテルを予約した。ホテルの正確な場所は、ニャチャンに着いてからタクシーの運転手に任せることにした。 まさかタクシーが…熱帯のロシアに向かって行くとは思いもしなかった。美容サロン、マッサージ、レストラン、観光案内所、コンビニなど、周囲はすべてがロシア文字であふれていた。白砂のビーチは、アエロフロートの飛行機のように大柄なロシア人たちに支配されていた。大半が田舎者風情で、少数の若者たちはしっかり日焼けして、これが初めての海外旅行ではないと見て取れた。 これは確かにビジュアル的な衝撃だった。ベトナムの姿はこうではないはずだ。 けれど、それではどうあるべきなのか。 観光地は英語優先なのが私のデフォルトモード。僻地でさえ英語メニューはあるだろう。 チャンクアンカイ通りにあるお気に入りのフレンチビストロでじっくり考えてみた。隣のCCCP レストランは、サワークリーム入りポテトパンケーキを食べさせる。その隣にはアロハホテルがある。その向こうのテキサスという店ではアメリカンステーキとメキシコ料理を出す。店の並び自体がビジュアルと文化の皮肉にあふれている。そもそもなぜ、これらの店がベトナムに存在するのだろうか。 ベトナムにおいてすべてが英語表記されることは、ロシア語や、ハワイ語や、日本語の場合と同じくらい不自然なのだ。ベトナムの政治連携を考えると、ロシア語はまったく変ではない。それではなぜ私はニャチャンの新しい姿に抵抗を感じたのか。旅行業界で働く写真家の友人、フイン・ヴァン・ナム(Huyen Van Nam)が呼ぶところの「リトル・オデッサ」に。 テキサスの主人が店を開いて6年になる。開業当時、辺りには18軒の飲食店があった。今では240店だ。ロシア人が急増したのは2年前。彼らにとってベトナムは気楽な旅行先だ。モスクワからカムランへのチャーター便は、1日に600人あまりの旅行者を運ぶ。ビザは免除され、ロシア人ツアーガイド付き。安い物価、海鮮のグリル、椰子の木々、ダンスパーティー。これらすべてが南国の夢だ。ペガスやフォーカスなどの大手旅行会社は来年、倍数のロシア人訪問者を生み出す見込みだ。 ジュースバーの気さくな女の子は、ロシア語を話せるようになりたいと言った。20年前と比べてなんと対照的なことか。当時はこの言語に時間を費やしたために、英語によって得られる現金を逃したと後悔したものだ。ロシア市場がドラゴンフルーツシェイクに飽き始めたら、リトル・オデッサはどうなるのだろう。次に待ち受けるのはどんなビジュアルと文化の変身なのだろうか。 結局、ベトナムはある特定の姿であるべきではないと分かった。たった1つの気がかりは、このような変化がビジョンと方向性の結果であってほしいということだ。魅力あふれる場所が無計画ながらくたになってしまう、突発的な市場原理への反応ではなく。 Yen Yen-m
Sue Hajdu スー・ハイドゥー オーストラリア人アーティスト、写真家、文筆家としてベトナムと日本で活動。シドニー大学日本学の学士号、同大学院視覚芸術の修士号をもつ。 ウエブサイト:www.suehajdu.com Facebook:Sue.Hajdu.Projects
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