伊藤忍のベトナムめし大全/第50回 いかの天日干し焼き/Mực Một Nắng Nướng

CE2

伊藤忍のベトナムめし大全

最近ホーチミン市のレストランのメニューを見ていると、いかの天日干し焼き「ムックモッナンヌーン」(Muc =いか、Mot =1日、Nang =天日、Nuong =焼く)の名前をよく目にします。 昔はイカのご当地であるムイネー(Mui Ne)まで行かないと食べられないものでしたが、いつの間にか他の場所で食べられる様になっていました。 こんがりと香ばしく表面の焼けたイカを裂くと、ふっくらとした肉厚の身がむき出しになります。表面の食感、中身の食感が微妙に違うので、それをしっかり感じながら噛んでいると、干したことで濃厚になったイカの味が口の中に溢れ、後を引いて食べ続けてしまいます。 このイカの天日干し、実は、偶然から生まれたものなのだとか。 現在ムイネーはリゾート地として有名ですが、開発が進んだのは、ここ15年ほどのこと。元は小さな漁村で、お隣のファンティエット(Phan Thiet)の方が先に開発されていました。 そのムイネーがリゾート地へと変わったのは、1995年の皆既日食がきっかけと言われています。この皆既日食、ベトナムだと見やすく、中でもムイネーは月と太陽が完全に重なる場所ということで、その天体ショーを見るために、小さな漁村に突然、世界中の多くの人がやってきたのです。 当時は飲食店などほとんどなかったそうで、これはチャンスとばかりに、地元の人が浜辺にプラスチックの椅子やテーブルを並べただけの店を開きました。そして、その中の1つの店が、皆既日食の後も浜辺に店を出し続けたのです。 ある日、遅い時間に店に客がやってきました。しかし、料理の材料がなくなっており、店はつまみが出せません。そこで客は店の前で干しかけているイカを焼いてくれとせがんだそうです。このイカは普通に料理しても、干してもあまり美味しくないとされ、漁師が取って来ても買い手がつかない種類で、店のスタッフが自分達が飲む時のつまみにしようとして干していたものだったそうです。 しかし、その干しかけのイカを焼いて出してみると、驚くほど美味しかったのだそうです。その後、この料理は人気となり、店は大繁盛。地元の有名店として、どんどん大きくなっていきました。 誰も見向きもしなかったイカを使い、ふとしたきっかけで誕生したこの料理。私は噛みしめるたびに、その偶然に感謝してしまいます。
CE3
伊藤忍(ベトナム料理研究家) 2000 年より約 4 年間のベトナム暮らしの後、帰国。現在、日本にてベトナム料理教室やベトナム料理店のメニュー開発、執筆を中心に活動。2011 年7 月に新作『ベトナム×ハノイ36 通りグルメ』(情報センター出版局)を出版。詳しくはホームページ(www.vietnamfoodnet.com)を。