ベトナムの日本人/馬場吐雲さん・書道家

一度はあきらめかけた夢への再挑戦 日本の書道の面白さをベトナムで広めたい

馬場吐雲さん・書道家 ベトナムの日本人「ベトナムに来たのは大正解でした。年齢のためにあきらめかけていた夢が再起できるかもしれない」。 馬場吐雲さんは、おもむろに「越國書人」と力強く書くと、ゆっくりと筆をおいた。「ベトナムで字を書く人」。普段は落款の隣にこの字をしたためる。特別な意味はないんですがね、と言いながらもカメラを向けられると、ピンと背筋を伸ばし、書きあげたばかりの書を手にしっかりと持つその姿はどこか誇らしげだ。 馬場さんは、書の道30余年、日本で3000人以上に書道を教え、20人もの師範を育てた書道家だ。父親の他界、書道教室を主宰する傍ら勤めていた幼稚園での定年退職などが重なり、ベトナムへの移住を決意した。 余生をのんびり過ごすつもりが、周囲の人からの勧めでなんとなく書道塾を始めたところ、わずか数ヶ月で塾生は50人に増え、本格的に「吐雲塾」を開塾。現在、塾生は大人14人、子ども26人の計40人。うち5人はベトナム人と日本人のハーフかベトナム人だという。 「ベトナムの人は、手先が器用で書道の呑み込みが早いんですよ。日本人よりもすごいかもしれない! 筆を持つのも初めて、日本語を書いたことがなく、書き順も意味も知らないのにスラスラと書いてしまうんです。筆を使えること自体すごい。教えている方も驚きでしかないですよ」と、目を輝かせた。 「これなんですがね」と言いながら取り出したのは、1枚の風景画。書道教室に遊びにきたベトナム人学生が、教室の様子を筆で描いたものだ。 「何も教えてもいないのに、筆を持つなり描き始めて、『日本の春』と、見たこともない字まで書いてしまった。筆の払い方、止め方、筆使いはもちろん、とにかく感性の良さに驚くばかりでした。この絵は僕にとって宝物なんです」。 手の動きなど、ベトナム語を書くことが書道に適しているのではないかと踏んでおり、ベトナム人は書道のポテンシャルが高い、と評価する。そんな彼らの器用さ、感性の良さを目の当たりにした馬場さんは今、壮大な夢を描いている。 「日本では権威の高いものに用いられてきた書道ですが、ここでは全く違った形態、例えば芸術の一環として受け入れられるかもしれないですね。それは素晴らしいことですし、書の良さがもっと伝われば、相当普及するのではと期待しています。早くて5年後、ベトナム初の書道学校ができるかもしれない。そのためには指導者を養成しなければならないし、もっともっとベトナムの人に書道を教えていきたいと思っています」。 日本に戻る予定はないという。書道に情熱を傾けてきた馬場吐雲さんの、「越國書人」としての再起をかけた挑戦。書のおもしろさを伝え、普及させたいという、一度はあきらめかけた夢がベトナムの地で実を結ぶ日が来るのは、そう遠い未来ではないかもしれない。
馬場 吐雲 ばば とうん 1943年、東京都生まれ。19歳で筆をもち、兄が経営する幼稚園でバスの運転手を務める傍ら、30年にわたり3000人以上に書道を教える。第三書道会および玄星書作院主宰、足立書道連盟常任理事などを歴任。現在、ホーチミン市で「吐雲塾」(093 270 0354)を主宰し、日本人とベトナム人に書道を教えている。
撮影/大木宏之
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