圧政に苦しむ農民が蜂起
ビンディン武道のルーツは
「西山党の乱」にあった
ベトナム中部にあるビンディン(Binh Dinh)省。現在ベトナムに存在する、あらゆる格闘技のルーツとされる「ビンディン伝統武道」発祥の地と言われる場所だ。
古来より多くの異なる民族が住み、それゆえに諍(いさか)いが多かったビンディン地方。ここでは武道に秀でた者が氏族の指導者になる伝統があり、人々は常に武道にいそしんでいた。ビンディン武道「本家」成立の由来は未だ定かでないものの、各氏族に代々伝わる、漢字やチュノム(漢字をベースにしたベトナム固有の文字)、時には絵入りで詳しく書かれた武術書が多く見つかっており、氏族の中でその基本が引き継がれてきたことが分かっている。その過程で、氏族ごとに独自の解釈が生まれたことは、現在登録されている「流派」だけで90に上ることからも明らかだ。「本家」はないものの、これらを総称したものが「ビンディン伝統武道」であり、他の格闘技の影響を受けていない独自の型だけでも合わせて300を超えるという。
またこの武道は「タイソン(西山)・ビンディン伝統武道」とも呼ばれ、18世紀ベトナムの歴史と深い関わりがある。当時のベトナムでは、北部のチン(Trinh/鄭)氏と、南部(現在の中部)のグエン(Nguyen/阮)氏が勢力を持っていた。グエン氏による圧政の下、重税により米の値段が上昇し、人々は苦しみ飢えていたという。その圧政に耐えかねた人々は1771年、グエン・ニャック(Nguyen Nhac/阮岳)、グエン・フエ(Nguyen Hue/阮恵)、グエン・ルー(Nguyen Lu/阮呂)の3兄弟を中心に、現在のビンディン省タイソン県で蜂起(西山党の乱)。彼らはグエン氏を滅ぼし、北上してチン氏を討ち、西山朝を成立。グエン・フエはクアン・チュン(Quang Trung/光中)皇帝となり、兄弟とともにベトナムを治めた。
西山朝では、ビンディン武道を修めることが役人の条件とされ、庶民に対しても、平時は健康的な生活と労働のために、戦時には即戦力となるように武道を奨励。その際、素手で戦う拳法とともに、弓、剣、槍などが武器として使用された。
常に武道とともにあり、西山党の乱を機にそれが定着したことから、ビンディンは「武道発祥の地」とされたのだ。 |