アメリカが南ベトナム共和国を後押ししていたベトナム戦争時代、コンダオにはさらに「フ−フォン/Phu Phong」(1962年)、「フーアン/Phu An」(1968年)、「フービン/Phu Binh」(1971年)、「フーフン/Phu Hung」(1971年)の4つの収容所が建設された。なお、5番目となる収容所も基礎工事を開始していたが、パリ協定により中断された。
通路は狭く、牢屋は暑くて狭苦しい。暑い乾季は8人、寒い雨季は3人のみを収容したという。
■アメリカ「虎の檻」 Chuong Cop Kieu My
1971年に建てられた総面積2万5768uの「フービン収容所/Trai Phu Binh」は別の名を「アメリカ式虎の檻/Chuong Cop Kieu My」といった。A-B、C-D、E-F、G-Hの4つの区があり、さらに各区が2つに分けられて全48室の牢屋があった。仏領時代と異なるのは、壁も床もセメントで出来ていたことで、さらに壁が薄かったため、乾季は暑く、雨季はより寒い造りになっていた。
113年の長きに渡り「流刑地」となっていたコンダオ島収容所は、この収容所をはじめとして、ベトナム戦争が終結した1975年4月30日の深夜12時に解放されたのだった。
ハンケオ墓地には1940年までに収容所で亡くなった約1万人の遺体が埋葬されていたが、1997年にD区に移された。発見されなかった遺骸はまだ埋まったままだ。
総面積20ヘクタールの敷地にずらりとならぶ墓石。名前のない墓も多い。ここはフランス植民地時代以来113年間に、祖国のために戦い、そして亡くなった人々が眠る墓地だ。慰霊碑は1992年に建てられたもの。AからDの4つの区があり、A区は1945年以前、B区は1945〜1960年、C区は1960年〜1975年に亡くなった人々が、D区にはカウ島(Hon Cau)およびハンケオ(Hang Keo)墓地に埋葬されていた人たちが眠っている。
■コンダオ島の歴史を知る ガイド付き収容所ツアー
島のあちこちにある各収容所および関連施設は普段、閉鎖されている。ガイド(英・越語)付きツアーを申し込めば、希望の箇所を案内してくれる。「コンダオ収容所歴史遺跡展示館」の受付で申し込もう。ツアー料金は、1人1万5000ドン(約110円)。
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スケッチトラベルで行く! スケッチトラベル初登場!コンダオ島宿泊プラン
(2007年6月号 | 2007年6月22日 金曜日 10:53 JST更新)
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