<ハノイ旧市街訪問、古の街の職人たち>
ハンバック通り
[PHO HANG BAC]
15世紀初頭、ホアンキエム湖にまつわる「亀と剣の伝説」で有名なレロイ(黎利 Le Loi)帝がハノイを治めていた黎朝時代。現ハイズオン(Hai Duong)省の人々が旧市街へやってきて銀の鋳造権を独占、このハンバック通りで銀の加工や両替などを行うようになったのが、通りの始まりと言われている。
その頃からこの通りは銀屋(ハンバック)通りと呼ばれていたが、その後、ハノイ市南部にあるタインチ(Thanh Tri)県の人々も集まり、金のアクセサリーなども扱うようになった。そして今も沢山の金屋・銀屋が並ぶ界隈として、旧市街の中でも特に有名な通りとなっている。
<彫金師>
伝統も技も、家族を守る術だからこそ。
Pham Dinh Tan (70歳) 1937年ハイズオン省生まれ
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仕事は毎朝7時から。1979年に現在の家を買い、店を開いた |
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タンさん自慢の子供たちと。彫金師として名を上げたタンさん。彼の兄弟、親戚も同じく彫金師で、マイハックデー(Mai Hac De)通りやチョイ(Troi)市場、グエンコンチュー(Nguyen Cong Tru)通りなど、一族でハノイに5つの店を構えている |
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ぶ厚い眼鏡をかけ、豆電球を前に眉をひそめながら金銀を加工する、この道58年の彫金師タン(Tan)さん。12歳で彫金の道へと入り、以来、正月も休むことなく働き続けているという。
タンさんは、彫金の技術を彼の田舎であるハイズオン省で学び、12歳の頃、村の数多くの人が出稼ぎに行っていたハンバック通りへとやってきた。34歳の時に14歳だった奥さんを嫁にもらい、4人の子供に恵まれる。そして今では子供たちも結婚し、孫を含め総勢10人の大所帯でこの旧市街に住んでいるという。彼は、食べていくのに苦労しないようにと、子供たち全員に長年培ってきた彫金の技術を伝授した。しかし、「もし子供達が他の仕事をしたいなら、別の仕事をすればよい」と、決して伝統に囚われているわけではない。
彼の腕はこの界隈でも評判で、ベトナムのテレビでも紹介されるほど。「金銀の加工は、それほど難しいものじゃないよ」と彼は言うが、その言葉は、確かな技術と経験に裏打ちされてこそのもの。お客が持ち込んだ金銀を天秤で量り、それを要望通りに加工する。長年この職業に就いてきたタンさんだが、今でも美しく仕上がったときの喜びはひとしおという。
今は、息子のダット(Dat)さんが父の傍らで働き、お客との応対もこなしている。旧市街の生活は、家の前に行き交う天秤行商人から物が買え、美味しい食べ物屋もいろいろ。便利で快適と、タンさんは気に入っているようだ。しかし時代の流れか、この商売から退く同郷の人も多く、ハンバック通りには現在、道の由来と関係のないシルク店なども増えてきている。
そうした中、生涯を彫金に捧げ、自分の家族を守るために旧市街で暮らし続けるタンさん。仲間が少なくなっていくことに少し寂しさも感じるというが、そんな素振りは微塵も見せず、今日も黙々と机に向かっている。
店名:TAN DUNG
住所:10 Hang Bac St.
電話:(04) 8267078
時間:7:00〜22:00 |