日々の暮らしと共に、
今も息づくコロニアル建築群
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State Guest House
迎賓館
建設年 1911年
建築様式 マンサード建築
建築家 Auguste Henri |
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Ho Tay Octagonal House
ホータイ八角館
建設年 不明
建築様式 不明
建築家 不明 |
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Water Tower
給水塔
建設年 1894年
建築様式 不明
建築家 不明 |
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Long Bien Bridge
ロンビエン橋
建設年 1902年
建築様式 カンチリーバ形式
建築家 不明 |
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これまで紹介してきた建物は、どれも有名なものばかり。でも、街を歩けば否がおうにも西洋建築に出会うハノイ。これまで紹介した有名建築物以外にも、価値の高いものが多い。そこで、普段はなかなか気づかない、その他の魅力的なコロニアル建築を訪ねてみよう。
ソフィテルメトロポールハノイホテルのすぐ近く、もとは北部ベトナム地方長官官邸として使われていた、迎賓館もそのひとつ。切り立ったマンサード屋根を掲げ、壁面を彩る豊かで優美な装飾。その姿はまさにフレンチ・コロニアル建築の真髄を行き、ひときわの美しさを誇っている。しかし、一筋縄ではいかないのが面白いところ。三枚の羽のような玄関ポーチの造形はアールヌーボー様式を踏襲、時代の移り変わりと共に変化する、コロニアル建築の歴史を見事に体現していると言えるのだ。
ホアンキエム湖周辺以外にも、当時建てられた注目すべき建物がある。北門教会の更に北、Thuy Khue(トゥイ・フエ)通りを西に進んだTay(タイ)湖の南端に、ハノイ最高のヴィラと称される建物。それがホータイ八角館。八角形がつながったその形も珍しいけれど、壁に施された華麗な装飾は、誰もが感嘆のため息を漏らすほど。半地下、1階、2階の3層から成り、タイ湖に面したスロープのある正面玄関からは、時間と共に移り変わる湖の美しい風景を臨むことができる。また、正面入口の扉には、この建物内で唯一ベトナム文様の木製扉が取りつけられ、フランスとベトナム、2つの文化の融合をその中に垣間見ることができるのだ。現在はハノイの名門Chu Van An(チュー・バン・アン) 高校の一部となっており、中に入ることはできないが、そうした古き良き建物を、今も若い生徒たちが利用している、そのことに感慨を覚えずにはいられない。
再び北門教会を抜け、一路Hong(ホン)河へ向かってみよう。Phan Dinh Phung(ファン・ディン・フン)通りとPhung Hung(フーン・フン)通りが交差する所で、目の前に幾多のアーチが組み合わされた円柱状の建物が現れるはず。1894年に建設されたこの給水塔は、1階部分はアーチ、2階は組み石、3階がスタッコ仕上げと、各層がそれぞれ違う方法で組まれており、一つの建物の中に様々な表情を持っている。約1250立方メートルと膨大な容量を持ち、ハノイ住民の生活を支えてきただけでなく、見るに素晴らしい街のランドマークの意味も込め、建てられている。また一説では、その昔Long Bien(ロンビエン)橋を守る砦として使用されていた事もあると言われている。
ハノイ中を北へ南へ。フランスの香りを求めて巡るこの建築散歩は、ロンビエン駅からロンビエン地区を結ぶ、ホン河に架かるロンビエン橋で締めくくることにしよう。1902年の開通当時、インドシナの総督Paul Doumer(ポール・ドゥメ)の名にちなみ、この橋はドゥメ橋と呼ばれていた。フランスのDayde & Pille社によって建てられ、その名を刻んだプレートが今も橋に残っている。材料である総重量5300トンもの鉄骨や、3万立方メートルに及ぶ石材全てが、全てフランスから船で運ばれたほどの力作。ベトナム戦争時、補給路を絶つために、何度もアメリカ軍による爆撃をうけ、そのたびに修復されてきたが、戦争時に刻まれた弾痕が今も各所に残り、ベトナムが辿ってきたその歴史を、その姿に伝えている。
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