時代や社会は変わっても
音楽は変わらず「家業」。
もう血の中に音楽が流れているのです
「ワシの父親も音楽家だったし、息子も孫も宮廷音楽家なんだよ。」
と語るのは、1910年生まれの94歳、Lu Huu Thi(ルー・フー・ティー)さん。現在もまだ存命の数少ない本物の宮廷楽士の1人。そしてルー一家は、ベトナムの宮廷音楽(Nha Nhac ニャーニャック)の伝統を継承している音楽一家なのだ。
ティーさんが音楽の勉強を始めたのは、まだ10歳にならない頃。父親が最初の先生だったという。学校には行かず、もっぱら音楽の勉強だけ。その英才教育が実って、10数年後、伝統音楽の演奏家なら誰もが夢見る宮廷楽士に抜擢された。「21歳の時からBao Dai(バオダイ)帝の前で演奏をしていたんだがね、皇帝の前で顔を上げることは許されなかったから、一度も姿を見たことはないなあ。でも好きな音楽を演奏する機会はたくさんあって、幸せな生活だったね。」ところが1945年にグエン朝が倒れて、約20名いた宮廷音楽団は散り散りになってしまう。しかしその後もティーさんは、個人の葬儀に呼ばれて演奏をするなど、音楽で生計を立て続けた。
そんな中、1948年には長男のLu Huu Vien(ルー・フー・ヴィン)さんが誕生。当時の生活をヴィンさん(57歳)は、こう振り返る。「物心ついたときから、家の中には常に音楽が溢れていました。学校から帰って来ると、家族で太鼓や笛を演奏したもんですよ。」
14歳になると、父親であるティーさんから、宮廷音楽の手ほどきが本格的に始まった。「父は厳しかったですよ。言われた演奏ができないと、定規でピシっと叩かれるんです。それでもダメなときは食事抜き。何度涙を流したことか分かりません。そんな私を見て、母はこっそり『そんなに辛いんだったら、別に音楽家を継がなくても良いのよ』と言ってくれました。でも、音楽家以外の道を考えることはなかったですね。」
ティーさんにはヴィンさんを含め男4人、女5人の子供がいるが、息子は全員音楽家。それぞれ一人前になると、父親と共に音楽家として仕事を始めた。ベトナム戦争など社会が安定しない時期はあったが、「決して金持ちじゃないけど、生活には困らないだけの収入を得ることはできました」とヴィンさんは言う。
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スケッチトラベルで行く フエの旅!
写真:世界レベルの「人間国宝」とも言うべきLu Huu Thiさん。演奏指導に来る際は、正装である青いアオザイと赤い帽子を身につける |