それは19世紀・フランス統治時代のことだった
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夜はまた違った雰囲気に。ライトアップされてさらに美しくロマンティック |
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当時は、左記エリアに3つの工場があった |
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ベトナムで阿片の販売を独占したフランス。1860年からそれによる収入は急増し、1881年の終わり頃、フランスはここに阿片精製工場を作った。インドから仕入れた阿片を精製しベトナム国内の他、カンボジア、ラオスに売っていたという。当初は、ハイバーチュン通り、レタントン(Le Thanh Ton)通り、ティサック(Thi Sach)通り、グエンシエウ(Nguyen Sieu)通りに囲まれたエリアに3つの工場があったが、ヨーロッパ製の機械を導入していた1つの工場だけが技術の高さから残ったという。それが現在も残るこの建物だ。
1954年、仏領インドシナの解体に伴い工場も閉鎖となり、その後、このエリアは花街となった。
1975年、北ベトナムが進攻しサイゴンが解放されると、この建物は税関局員の住居として使われるようになる。その後もベトナム人の住居として利用されていたが、2年程前から店舗として使われるようになり、現在は在住者が集う人気スポットとなっている。 |