ベトナム雑貨よもやま話
民芸品のよさ
民芸品の仕事に携わって、早いものでもう7年が過ぎた。この7年間、私はこの民芸品に悩まされ、勉強させられてきた。腕の長さの違うアオザイ、底が縫いつけられていないバッグ、触ったらかゆくなる籐製品など…。今考えてみればどれも良い思い出だ。笑うにも笑えないモノを提供してくれる現地プロバイダー、怒っても怒っても効き目がない地方出身の工場従業員たち。でもなぜか許さざるを得ない雰囲気が漂う。非常識な常識がベトナムの良さだと思えてくるまでいってしまった私は、もう現地人化しているのだろう。
モノ作りの転換
民芸品はすべて手作り。物差しや定規のない工場の現場で、1ミリ単位の注文やまっすぐな線を引くことなんて出来ないのが当たり前。それを要求する私たちの頭の方が、現地の人から見ればエキセントリックなのだろう。とはいえこんな現状の中で、少しでも世界に通用するようなモノを作ろうと努力をしている日本人や、それを理解して頑張ってくれる現地の人が増えてきたのも事実である。今までは、ただ賃金が安いから単純作業だけをさせて何とか形だけをつくろったモノが多かったが、このような人が現れ頑張ってくれたおかげで、モノに付加価値がついてきたように思う。
機械導入で作業人たちはどこへ
先日、お客様に依頼され漆製品を作った。もう何度も失敗しているので、念には念を入れ、いくつかの工場にサンプルを作らせた。その中のひとつの工場で作られたサンプルを見て驚いた。見事にオーダー通りのサイズ、気持ち悪いくらいだ。早速、工場に行ってみてビックリ。今まで作業人が座って裸足で作業していた部屋には、多くのマシンが並び、片隅にはコンピューターまで置いてある。確かにこれなら正確に出来るはずだ。ただそれを見た時に、少しの寂しさも同時に感じた。今まで僕はここへ行くたびに怒ったり、喧嘩をしていたが、それでもジョークを飛ばしてくれていた作業人のみんなは、一体どこへ行ってしまったんだろう? 工場長に聞いてみると、台湾人の指導と援助を受けて機械を入れ、その人に多くの商品を買ってもらっているらしい。かつての作業員はと聞いてみると、「み〜んな田舎に帰ったよ」という返事。ほとんどは北部の田舎の出身だったらしく、サイゴンで仕事を見つけるのは難しかったみたいだ。
民芸品ってなんなのだろう? こんな機械で作ったら民芸品にはならないじゃないか。少しゆがんでいても、作業人の指紋がついていても別にいいじゃないか。時代は確実に変わっている。特にベトナムのここ数年の変化は大きい。近代的になることは悪いことではないと思うが、昔ながらの技術や伝統も平行して残してもらいたいと願っているのは僕だけではないだろう。きれいさだけに固執せずに、作っている人のぬくもりが感じられるような一品を見つけてくれればと思う。
文=八木 伸樹
「ベトナム雑貨よもやま話」は今回で終了いたします。
長い間、ご愛読ありがとうございました。
(ベトナムスケッチ2003年12月号) |