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「Texture Sample」 42×60cm 2003年 |
第4回 漆風呂の生態系
漆液が漆画へと変身する場所、それが「漆風呂」です。漆を塗ったばかりの作品を入れておくと、埃や塵を防ぎ、適度に保った湿度と温度が漆内の酵素を活性化させるという魔法の箱なのです。でもこの漆風呂、生き物たちにとっても心地良いらしいのです。
日本の場合、塗り作業中は上半身裸で作業するくらい、埃に対して神経を遣います。ベトナムでも埃は大敵ですが、建てつけの悪いこちらの家では、扉や壁の隙間から埃どころか、いろいろな侵入者がやってきます。街中に住んでいた頃は雨がザッと降り出すと、周りの飲食店からゴキブリたちが雨宿りがてら漆風呂に遊びにきたものです。ジメッとした密室が心地よいのでしょう。またある時は、小さなオレンジ色の蜘蛛の赤ちゃんが、中に置いた作品の上をたくさん這っていました。蜘蛛の産卵にも適していたようです。他にも、真っ白なカビが満開になったかと思うと、次は蛍光色のキノコが発生、なんていうことも。漆風呂を覗くときは、作品の状態はいうまでもなく、いろいろな意味でおっかなびっくりなのです。
このような環境でよい作品ができるのか、疑問に思われるかもしれません。修行中、塗ったばかりの漆に蚊が飛び込んだことがありました。取り除いても痕は残ります。困惑する私をよそに兄弟子たちは「面白い質感ができたね!」と笑っていました。大切なのは、細かいことにとらわれ過ぎず伸び伸びと表現すること。キズが許されない「商品」を作っているわけではないのです。精緻さには欠けても生き生きとしたベトナム漆画の魅力は、こんなところから生まれるのかもしれません。
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自家製の漆風呂。内部の湿度を保つため、内側に張りめぐらせた綿布団に水を含ませたうえ、出し入れ口には湿らせた布をカーテンのようにつるす
撮影/西澤智子
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安藤彩英子 あんどうさえこ
1995年にベトナムへ移住し、漆画の修行を始める。以来、数々の個展やグループ展、またはメディアを通して、ベトナム独特の漆芸術「ソンマイ/Son Mai」を内外に紹介。また、伝統漆芸技術の伝承にも取り組み、ハノイにて、ベトナム漆画・漆芸の後進の指導に力を注いでいる。
http://andosaeko.com
(2010年02月号 |2010年2月3日 水曜日 10:59 JST更新)
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