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浦岡さんが代表取締役を務める「ユナイテッドパブリッシャーズ」は、ベトナムに進出した日系メーカーのマニュアル印刷などを請け負うことで、業績を伸ばしてきた。現在は、デジタルドキュメント制作や多言語翻訳、市場調査なども手がけている。そんな同社も、始まりは名刺の印刷だったという。 「1960年代の終わり頃、当時取引のあった『ジャパンタイムズ』の社長に、日本もこれからは英字の印刷物が流通する時代だ、と言われて一念発起。アメリカに渡り、印刷用のタイプライターや鉛の印字などをかついで帰ってきました」。 当時、日本国内に英字印刷が可能な印刷会社は他になく、英字印刷物を一手に引き受けることに。1970年代に入ると、石油産業の台頭に目をつけた浦岡さんは、日本初のアラビア語の印刷を始め、業界の注目を集める。その後、湾岸戦争をきっかけに、新たなビジネスチャンスをと、ベトナムに目を向けるようになったという。 「取引先の日系企業のアラブ駐在員たちの多くが、ドイモイ(Doi Moi/刷新)政策で活気を帯び始めていたベトナムへ活動拠点を移しており、彼らに誘われたんです」。 ちょうどインターネットを利用してデータを送信することで、世界中のどこでも、印刷を行うことが可能になった時期でもあった。海外で印刷することでコストダウンを図れると考えたのだ。 「進出を決めたときは、ベトナムが社会主義国だということはあまり気にしていませんでした。しかし、様々な場面でライセンスの取得に苦労することになって初めて、たいへんなところに来てしまったと実感したのです。でも、困難があるほど闘志を燃やす性格なもので、必死で活路を探りました」。 そんな時、付き合いのあった大学教授から、教育訓練省の教育出版社と技術協力協定を結んでは、との助言を得た。そこで設備を教育出版社が持ち、技術と受注は同社で受け持つという協力体制が生まれた。その後、地理院とも協力関係を築き、こうした官庁との繋がりが、ライセンスに強い同社の強みを育てていくことになったのだ。 「ドイモイが軌道に乗り始めた2000年頃から、ベトナムの印刷業界は劇的に変化しました。あらゆる印刷物に必要だったライセンスが一部撤廃されたり、印刷機械やインキが、国内でも生産できるようになってきたのです」。 紙についても、国内で豊富に育つ竹を混ぜることで、製紙のための木材不足を補い、マニュアルなどの印刷が可能なレベルの紙が作れるようになった。しかし、まだ多くを輸入に頼っており、それがコストダウンの妨げとなっている。 「製紙は大量の水を必要とするうえ、廃液処理にも費用がかかるため、大掛かりな設備投資を必要とする産業なのです。これを解決するには経済がより発展し、多額の設備投資に見合うだけの、紙の需要のあることが前提になるのです」。 彼は50歳代後半になって、生活の拠点を完全にハノイに移した。 「残りの人生で、果たしたい夢があるからです。印刷業界において、ベトナムが国際社会を相手に勝つところを、どうしてもこの目で見たいんです。早ければあと5年で、少なくとも中国には勝てると予測しています。そのためにも、この分野でできる限りの貢献を、これからもしていくつもりです」。 (2009年8月号/ 2010年1月26日 火曜日 15:23 JST更新) |
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