荘秀英子さん (病院通訳)
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ふたつの文化にはぐくまれ
ふたつの国の架け橋に
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プロフィール
荘秀英子 そうひでこ
1986年、神戸生まれ。両親はベトナム人。父方の祖父は日本統治下の台湾人で、日本軍の命でベトナムに駐留、終戦後も残った。彼女は幼少時より年に1回程度、両親の故郷であるベトナム北部を訪問。中学・高校時代は来越が途絶えていたが、高校卒業後の2005年、留学目的で本格的に来越。現在はハノイのフレンチホスピタルにて、日本語通訳として活躍中。
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自分は日本人なのか、ベトナム人なのか。荘さん自身、何度も自問自答してきた。
彼女はベトナム人の両親のもとで日本に生まれ、ベトナム語を話す家庭で育った。しかし日本の学校教育を受け、1日の大半を日本人の友人たちに囲まれて過ごすうち、いつしか日本語の方を母語と感じるようになっていたという。
幼い頃は自分のアイデンティティーについて考えることはなかったが、そんな彼女も大きくなるにしたがい、意識せざるをえなくなる。そして高校時代、ベトナムへ短期留学した従兄弟から現地の話を聞いたり、親戚が経営するベトナム料理店でのアルバイトで多くのベトナム人たちと知り合ったりするうちに、だんだんとベトナムに興味を持つようになった。
「当時はちょうどベトナム雑貨ブームで、女性誌やテレビの紀行番組などでよくベトナムが取り上げられていたんですよね。それもあってか、自分のルーツがベトナムにあることを友人たちに自然に誇れるようになっていました。そして一度、ベトナムを自分の目でしっかり見て、現地の生活を経験したいと思うようになったんです」。
ホーチミン市とハノイでの留学生活を経て現在、彼女はフランス系の病院、「フレンチホスピタル」で通訳業務に就いている。日本人の患者とベトナム人医師との意思疎通をはかることが彼女の役目だ。そしてここでは、彼女の育った環境が大きく役に立っている。
「痛みひとつとっても、『チクチク』『ガンガン』『キリキリ』などさまざまな表現が日本語にはありますが、病院ではこれらを正確に医師に伝えることが重要になります。私は幼い頃から日本語とベトナム語の両方で痛みを表現してきたので、そういう微妙な言い換えもスムーズに出てくるんですよね」。
しかし、そんな彼女がもっとも苦労するのは、深刻な状況にある患者の通訳を担当するときだそうだ。
「日本人の医師の場合、病状の深刻さを患者さんやご家族にお知らせするときは、言葉を選んでできるだけソフトに伝えますが、こちらではドライに状況だけを伝えることがほとんど。だから通訳にはとても気を遣います。勝手に希望的観測を付け加えるわけにはいきませんが、同じ客観的状況を伝えるにしても患者さんやご家族の身になって、みなさんのお気持ちにそうような、日本的な言い回しや対応を心がけています」。
患者はもちろん、医師からも感謝されることが多いこの仕事にはとてもやりがいを感じるそうだが、実はそれ以上にこの職場は、彼女に大きな変化をもたらしたという。
「今思えば、日本にいるときもベトナムに来てからも、『私は日本人か、ベトナム人か』という二者択一をいつも迫られているように感じていました。でも、欧米をはじめ、世界各国からやってきた同僚に囲まれている今の職場では、『別にどっちかである必要はないんじゃないの?』って感じなんですよね。目からうろこが落ちる思いでした。ああそうか、どっちかである必要はないんだ、両方でもいいんだって、肩の力が抜けたんです」。
日本とベトナムのアイデンティティのはざまで揺れてきた荘さん。しかし、両方の文化を体現する彼女だからこそ、ふたつの国の人々の最良の架け橋となることができるのだろう。
(2008年10月号 | 2008年9月30日 火曜日 13:00JST更新) |