ベトナム旅行に行く前にちょっとみるベトナム情報サイト | ベトナム旅行手配 | 空港 | ベトナム地図 | ベトナムディレクトリ | |
|
||||||||||||||||||||||
|
|
居酒屋キッチンスタッフ発、ミシュラン経由、現在パークハイアットサイゴン「スクエアワン/Square One」レストラン料理長。料理界の底辺から登り続けた竹内聡さんは、店内のソファにゆったり腰掛けると、いきなり意外な言葉を口にする。 「本当は、大学で歴史を学ぶのが昔からの夢だったんですよ。でも結局、希望する学科はだめでした」。 京都の大学には入学したものの、試験前以外は実家のある愛知にいたという。そんな変わった学生生活が、料理に関わるきっかけとなった。 「地元の洋風居酒屋で昼から夜遅くまでバイトをしているうちに、本格的に料理をやりたくなったんです」。 バブルだった1980年代当時は、「洋食」といえば「フレンチ」なご時世。彼はフランス料理を学ぶべく上京を決めた。 思い立ったら即、実行。彼はフランス料理店ガイド『グルマン』片手に、30軒に上る東京の店に「勉強させて欲しい」と手紙を書いた。 「料理学校に通う気はありませんでした。バイトでの経験から、現場で働くことが一番だと考えましたから」。 努力の甲斐あって、まず「ヌキテパ/Ne Quittez Pas」で給仕と洗い場から出発、その後、岐阜の有名店で3年半、料理の基礎を学んだ。 「とはいえ、いちいち丁寧には教えてもらえません。シェフが今、何を望んでいるのか、彼の目を伺いながら考えることで学んでいきました」。 さらに上を目指した彼は、1999年、本場フランスへ。『ミシュラン』3つ星の「ミシェルゲラール/Michel Guerard」をはじめとする各有名店で、部門シェフを務めて料理人としての腕を磨いていった。 そしてフランスで親しくなった元同僚に誘われ、グランドハイアット東京へ。ここで「フレンチキッチン/French Kitchen」副料理長、次いで「ジュニパー/Juniper」の副料理長(後に料理長)を務めることになったのだ。 だが、それまで個人経営の店にいた彼が、ホテルのレストランで働くことに違和感もあったという。 「個人の店が感覚的なのに対し、ホテルはもっとシステマティック。決まったコンセプトに合わせて料理を作りますから、制限はありますね」。 料理に定評のあるハイアットで求められるのは、質の高さと、完成された味。彼がベトナムへ赴任してまず直面したのが、それに対するベトナム人スタッフの感覚の違いだった。 「食べる時に自分好みに味付けをする彼らにとって、この価値観の差は大きい。また日本と違い、普段の生活に洋食が溶け込んでいないため馴染みも薄い。でも、客層の大半は外国人。そこで常に洋食に触れ、意識するように導くことで、味の完成度が高まってきたんです」。 例えば、同じ料理の盛り付けでも、ひと工夫すれば印象が変わることをスタッフの前で実演してみせ、「見る」機会を与えている。 「拘束時間が長くて重労働。料理人は好きでなければ続けられません。だからこそ、やる気と興味を持ってもらうことが大切なんです。今では新メニューを作っていると、スタッフが自ら見に来てくれるようになりました。今は、センスや感覚を磨くことに取り組み中。それに私自身も、彼らのおかげで気が長くなった気がします」。 「海外で日本人が西洋料理をやっていくのは正直難しいですが、認められてきてもいます。彼らにも責任感とプロ意識をもって、洋食に取り組んでいって欲しいですね」。 (2008年5月号 | 2008年5月15日 木曜日 10:33 JST更新) |
|
Powered by |