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日本を長く離れている人でも、「世界ウルルン滞在記」「めざましテレビ」といった番組名は知っているのではないだろうか。そして、これらのTV番組で、ベトナムの現地コーディネーターを勤めるのが石平宏さんだ。 「例えば『若手タレントが美味しい物を食べて感動体験する旅番組を作りたい』というTV局のオファーに対し、条件に合うネタを探したり、下見をするのが僕らの仕事。番組自体を企画することもあります。撮影が始まると、現地で働くスタッフのお手伝いやタレントさんのお世話まで幅広くこなします。コミュニケーションが大事なので、ノリがいいことが信条ですね。」 そんな石平さんの人柄に惹かれて、現地コーディネートを依頼するTV局は後を絶たない。しかし来越当初は、こんな未来は思い描けなかったという。 「最初はハノイ工科大学の日本語教師として、93年に2年契約でベトナムへ来ました。でもハノイについた瞬間に、帰ろうと思いましたね。当時はアメリカの経済封鎖が続いており、物資も不足気味。スカート姿の女性なんか見たことなかったです(笑)。」 ところが、運命とはわからない。 「95年にデザイナーの山本寛斎さんがハノイで大きなイベントをやるので、その現地コーディネーターを探していたんです。日本語教師とはいえ時間があったので、お手伝いすることに。その時に出会った某TV局ディレクターの『石平さん、これからはベトナムだね。ベトナムのコーディネーターが必要だよ!』の一言がきっかけで、会社を作ることにしました。」 しかし、順調な滑り出しとはいかなかったという。 「当時ベトナムでは、コーディネーターという仕事自体、理解してもらえなかったんです。そこで日本語を学ぶ学生や卒業生の力を借りながら、96年1月に通訳・翻訳業務をメインに会社を興しました。でも、しばらくは仕事がなくて『だまされた!』と(笑)。結局、半年ほどして少しづつ翻訳の仕事が入るようになり、コーディネーターとしての初仕事は97年。『ウルルン』などが入り、忙しくなってきたのはここ3、4年ですね。」 しかし、ここに至るまで、コーディネーターを辞めずに続けられたのは何故なのだろう。 「限られた時間の中で、同じ釜の飯を食べながら1つの番組を作ると、密度の濃い時間を体験できる。だから一仕事終えたときの充実感が、たまらないんです。もちろんタレントさんをはじめ、ディレクターさんなど、才能ある人達と出会えるのも魅力です。」 イースタンデュオという会社名は、当時日本人のパートナーと2人で始めたという意味と、ベトナムと日本、東洋の2つの国という意味がある。最近では、ベトナム以外の国も視野に入れている石平さん。彼自身の「ベトナムウルルン滞在記」がクランプアップするその日まで、ベトナムと日本の縁を結び続けてくれるだろう。 取材・文/島田むつみ (2006年7月号/2006年7月12日 水曜日 10:32JST更新) |
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