小山道夫さん
(ベトナムの「子どもの家」を支える会代表)
外部からの援助に頼らない
自立した「子どもの家」になって欲しい
プロフィール
こやまみちお 1947年東京生まれ。大学卒業後、東京都で小学校教員として勤務していたが、1992年にベトナムを旅行した際、数多くのストリートチルドレンを見て衝撃を受け、翌93年退職。単身フエに渡り、「子どもの家」を設立する。2001年フエ市名誉市民受賞。著書に『火炎樹の花』(小学館)など。
www001.upp.so-net.ne.jp/jass/
「どうして『子どもの家』で日本食レストランを開いたか、ですか?施設を巣立っていく子ども達の就職の受け皿を作るためなんです」
そう語るのは、フエにあるストリートチルドレンの自立援助施設「子どもの家」の設立者にして代表を務める小山道夫さんだ。
13年目という歴史を持つ同施設は、自ら事業運営に乗り出すなど、ユニークな活動でも知られている。
「私が考えるキーワードは『自立』です。外部からの経済的な援助を受けずに施設が運営できる仕組みを作る必要があると思うんですよ」
この手の施設で、常に頭が痛いのはその財政的基盤。以前は小山さんが日本で年間100回にも及ぶ講演会を開いて支援を訴えるなど、全面的に外部からの援助が頼りだった。
「しかし、日本経済の低迷に従い、援助額も減ってしまったのです。そんな不安定なことでは責任を持って子どもを引き受けられません」
事業を行う理由はもう一つある。
「18歳になると、子ども達は『子どもの家』を卒業して出て行きます。ところが、働き口はなかなか見つからない。その結果、また路上生活に戻ってしまったりしては、元の木阿弥。そうならないよう、職業機会も作ってやりたいのです」
それを実現するため、オートバイの修理工場と提携して研修を行うなど、積極的とも言える事業展開をしてきた。日本料理レストランもその一環で、来年には縫製工場も始める予定だと言う。
「でも、こういう運営方針に批判は絶えないですね」
と小山さんは苦笑する。
「小山は子どもを救っているんじゃない。援助金で事業を興し、子どもを労働力に使って金儲けをしているんだ、ってね」
そもそも、小山さんは毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人である。「食事があれば、住居が得られれば、それで幸せになれるというものではない。ストリートチルドレンだって文化に触れ、教育を受けることが必要だ」との理念を持つ小山さんは、「子どもの家」に図書室、音楽室、視聴覚室などの設備を導入した。それに対しても「贅沢だ」、「どうしてもっと多くの子どもを救おうとせず、一部だけをこんなにも優遇するのか」などと批判にさらされてきた。
「私だって、1人でも多くの子ども達を救いたいですから、今でも悩みはありますよ。でも私は、やっぱり量より質だと思うのです」。
先日こんなことがあったんですと、近くにいた1人の少年に声をかけながら、小山さんはこう付け加えた。
「彼は『子どもの家』を出てホーチミン市に行ったんですが、生活ができなくなってフエに戻ってきたんです。親がいない彼が訪ねて来たのは『子どもの家』でした。子ども達にとっては、ここは単なる施設じゃない、かけがえのない家庭そのものなんです。だから、私は親の代わりとして、彼らがまっとうな人生を送れるように面倒を見る責任があると思うんですよ。」
(2006年5月号/2006年5月5日 金曜日 8:28JST更新) |