服部 匡志さん(眼科医)
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患者さんは、自分の家族。
心あるドクターを育てたい。 |
プロフィール
はっとりただし 1964年大阪生まれ。高校時代、父親を病気で亡くした事から医師を志す。京都府立医科大学医学部卒業後、大阪、京都、熊本、福岡、静岡など、日本各地の病院で経験を積み、2002年、ベトナム国立眼科病院へ網膜硝子体手術指導医として来越。現在、日本の病院のアルバイトで生活費を稼ぐ傍ら、ベトナムでの治療や指導を続けている。 |
「今日の午後だけでも、6件の網膜手術をしました。地方に行けば白内障の手術を1日30件程こなす時もありますよ」
と語るのは、多忙な日々の合間をぬって、2週間毎に日本とベトナムを往復、ベトナムでの治療に精力を注ぐ眼科医、服部匡志さんだ。
彼とベトナムとの出会いは、2002年に京都で行われた臨床眼科学会でのこと。彼の腕を見込んだベトナム人医師が渡越の誘いをかけたのがきっかけだったという。
「あの時、もし僕がタイ人医師に出会っていたらタイに、インド人医師ならインドに行っていたでしょうね。でも、僕はベトナムにやって来た」。
当時、日本各地で眼科治療の武者修行を行い、次は海外で何かできることはないかと考えていた矢先。まさにそれは彼の大きな転機となった。しかし、当初3ヶ月の予定で訪れたベトナムでの活動も、既に3年が過ぎた。時には自腹で手術の機材や道具を購入したり、貧しい人々の手術代を肩代わりしたこともあったという。
「でも、一番の苦労はベトナム人スタッフの気持ちを変えることでした。僕がやろうとした事が、彼らになかなか受け入れられなかったんです」。
その頃のベトナム国立眼科病院では、急患がいる、いないに関わらず、手術は午前中のみ。昼休みは昼寝付きの14時まで。そして午後はのんびり片付け、16時30分には必ず仕事を終わらせるのが習慣となっていた。それを見かねた服部さんが、患者のためにその習慣を変えようとしたのだ。
「まず、手術用の機械が1台しかないので、他の先生が機械を使わない午後に手術ができるよう申請しました。でもその許可が下りたのはベトナムに来て3ヶ月後。しかもその後も、新しい事を覚えたり、就業時間外の労働などで負担が増えただけと、スタッフが不満を募らせるようになったんです」。
しかし、そんなスタッフたちに彼は言う。
「患者さんは自分の家族と思え。患者さんが自分のお母さん、お父さんだったらどんな時でも手術をするだろう。患者さんにも家族がいて、みんな助かりたいと思っているんだ」。
家族を最も大切にするベトナム人にとって、この言葉は心に強く響いた。さらに、無償で手術を行い、お金にこだわらず、真摯に治療に取り組むその熱意が、徐々に彼らを変え始めたのである。
「高校の時におやじを病気で亡くしました。その時、患者をさげすんだ心無い医者がいたんですよ。患者さんは一人の人間、実験台ではないんです」。
現在ベトナムでは、服部さんの下で育った優秀な医師が増えてきている。しかし、そんな彼らの腕を活かせる環境は、まだ充分ではない。そして、そんな中だからこそ、彼の心ある夢はまだまだ終わりを見せないようだ。
「優秀な医師の手術が受けられるチャンスをもっと増やしたい。だから、今後はここに技術と心のある医師を育てられる教育機関を持つ眼科病院を作りたいんです。そして、将来はカンボジアやラオス、ミャンマーなどと連携した、患者のことを一番に考える医療ネットワークをベトナムから世界へ広げられればと思っています」。
(2005年6月号/2005年6月24日 金曜日 9:35JST更新) |