江崎智里さん (Cafe HOA ANH DAO)
この子たちに出会えたのは
本当にラッキーでした。
私の方が教えられていますから。
プロフィール
えざきちさと 1975年愛知県生まれ。同志社大学在学中、社会福祉関連のサークルとの出会いを機に、障害児者福祉に目覚める。1998年、日越友好障害児教育福祉セミナーへの参加で初めての渡越。以後、幾度もの訪越の末、ベトナムで障害者の日にあたる2004年4月18日、日本とベトナムの架け橋にと、ベトナム語で「桜」を意味する名のカフェ「HOA ANH DAO」をオープンする。
「もともと、私は自分のことがあまり好きではなかったんです」。
人なつっこい笑顔とは裏腹に、そんなドキリとする言葉をさらりと話す。学齢期を過ぎた知的障害を持つ人たちが、地域の中で働ける場を作りたいとの思いからできたカフェ 「HOA ANH DAO」。そのオーナーがこの江崎智里さんだ。
「初めてベトナムに来た時、ホーチミン市にあるタンマウ障害児学校 (現ヤーディン障害児学校) という所を訪れたんです。すると、そこで校長先生が自ら子どもたちと遊んでいて。なかなか出会えない光景ですよね。でも、ここではそれが当たり前だったんです」。
大学、大学院で社会福祉学を専攻し、福祉の先進国であるスウェーデンやデンマークを訪れた経験もある彼女。システム化された効率の良い社会に慣れた江崎さんにとって、ベトナムの素朴な福祉の姿は強烈なインパクトだったという。
「アジアの福祉には興味を持っていたんです。大学で論文を書くために色々な本を読んでいたこともあって、本当の意味で社会福祉を志すのであれば、経済的に発展途上国と呼ばれる国々にも目を向けていかなければならない。そう思って、次第にアジアでの福祉を考えるようになったんです」。
そして彼女は自費留学という形でベトナムへ戻ってくる。子どもたちやその保護者と自分の言葉で話すために語学を学ぶかたわら、タンマウ障害児学校へ通い、知的障害のある子どもたちと過ごす日々を送る。しかし、彼らが通常学校に在籍できるのは18歳まで。そこには、その後の生活を保障する制度がほとんどないという現実があった。そこで、江崎さんは自分の手で彼らと共に働ける場を作ろうと思い立つ。
「でも、日本にある作業所のような社会から切り離された施設にはしたくなかったんです。それでカフェ。接客をすることで、自然に社会とのつながりも持てます。ベトナムにはカフェ文化が根付いてますから、気軽に人が集まってきてくれると思ったんです」。
通常、福祉関連の店といえば、NGOやその他何かしらの団体の資金の元、運営されることが多い。しかし、彼女の店はあくまでも個人ベース。自分の貯金で足りない開店資金は、先生、親などから借りて調達したという。
現在、彼女の店で働くスタッフは男女合わせて12名。全員がヤーディン障害児学校と、同じくホーチミン市にあるトゥーンライ学校の卒業生だ。
「この子たちは泣きたい時は泣くし、笑いたい時は笑う。私がなかなかできないことを、普通にやってのけるんです。『こんな風に素直になってもいいんだ。もっと自分を出してもいいんだ』と、逆に教えられました。もっと自分を好きになっていいんだって」。
オープン以来、彼女のカフェはベトナムのマスコミに幾度も採り上げられ、今ではベトナム人の常連客も多い。2号店を出さないか、との誘いを受けることもあるという。
「でも、それはしたくないですね。日本人の私がまたお店を出しても、ベトナムの根本は変わらない。ベトナムの人がして、初めてベトナムの福祉が変わると思うんです。もし私がするなら他の形で。まだ、それが何かは模索中なんですけどね」。
(2005年2月号/2005年2月24日 木曜日 17:09更新) |