福川資朗さん (ゼンプラザ)
若いデザイナーたちと
夢を共有しながら進んで行きたい
プロフィール
ふくかわしろう 1957年福岡生まれ、福岡育ち。ゼンプラザ社長。20代初めにアメリカ、オーストラリアなど海外での長期滞在を経験。30代の終わりに米国法人のタイヤ会社勤務から転職し、2000年4月、「ゼンプラザ」の前身である「ニャットナム」副社長として初めてベトナムへ。(写真上:今注目の若手デザイナー達とゼンプラザ1階のヤングデザイナーズコーナーにて)
「ベトナムファッション業界を盛り上げている陰の立役者ですね」と水を向けると、生真面目に「いや、とんでもない。助けられているのは私のほうです」と手を振りながら答えるのは、福川資朗さん。ベトナム唯一の本格的ファッションビル、ゼンプラザの社長さんだ。
「私はファッションに疎く、ベトナムにもファッションデザイナーがいるということすら知らなかったんですよ」という福川さん。ある時、知り合ったデザイナーが見せてくれたファッションショーのパンフレットを見て驚いた。そこには、まだ名前が知られていない、若いデザイナー達の写真と名前がずらっと並んでいたのだ。それから、福川さんのデザイナー詣でが始まった。
「会ってみると、彼らは実に純粋で夢があるんです。ところが、デザインの学校はないし、せっかく良いデザインを作っても発表の場がない。お店が持てる人はごく一部で、もちろん収入のアテもない。若いデザイナーの中には、唯一の財産と言ってよいバイクを売って生地を買い、それでファッションコンテストに応募するという、一か八かの勝負に出る人もいたんですよ。」
そんな若者達と接するうち「彼らの才能と可能性に賭けてみよう」という決心は、「これしかない」という確信に変わっていった。福川さんは「一緒にファッションを盛り上げていこう」と、注目若手デザイナーを口説いて回る。それに賛同した7人の若者達で、ニャットナム2階にデザイナーズブティックのコーナーができた。福川さんが「ファッションで行こう」と決めた時から約10ヶ月後、2002年9月のことだった。
「什器のデザイン、配置から、すべて彼らに任せました。小さなスペースでしたけど、そこだけ花が咲いたように華やかな感じがしましたね。」その後の歩みは各種メディアでも報じられている通りだ。翌10月、その後定期的に開催されることになるファッションショーを開始。2003年9月には、「ニャットナム」はビルを一新してファッションビル「ゼンプラザ」に生まれ変わる。同年12月には、清水寺の本堂で史上初の許可を得て、デザイナーからモデルまで、すべてベトナム人だけで構成されたファッションショーを開催し、大いに話題となった。今やゼンプラザはベトナムで唯一デザイナーズブティックがある「ファッション発信基地」として常に注目を集める存在だ。
福川さんの中では、学校開設、商品輸出、日本からテナント誘致等、次なる計画が進行中だ。「先日、フランスのデザイナーが同国政府主催の第1回ワークショップを、弊社で開きました。学校開設への第1歩は既に踏み出しているんです。」
(2004年11月23日 17:18更新) |