水谷一治さん
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私はここに来て
新しい人生をもらいました |
プロフィール
みずたにかずはる。1925年、名古屋市生まれ。近畿日本鉄道、中京自動車学校勤務を経て60歳で定年退職。1996年にホーチミン市へ移住。その後、小学校の改修、日本語教師などのボランティア活動をしている。名古屋に本部がある国際協力事業ボランティア団体「グローバルネットワーク」の会員。 |
「私はベトナムから、新しい命をもらったと感謝しています。」
と語るのは、定年後をベトナムで過ごすべくホーチミン市に移住してきた水谷一治さん。背筋もピンと伸び、話す口調も若々しく、とても80に手が届く歳には見えない。「昔から海外での生活に興味があったんですよ。それで、まだ会社勤めをしている時に、国際ボランティア団体の会員にもなり、海外からの研修生を自宅にホームステイさせていたんですね。その子の出身がベトナムだったので、1994年からベトナムをしばしば訪れるようになりました。」
そして1996年4月には、ついにホーチミン市へ移住。歳をとってから異国での生活、寂しくないかと思ったら、その逆だと言う。「以前はデタム通りのミニホテルに住んでいたので、毎日のようにやって来る日本の若い旅行者と知り合いになりました。彼らは、核家族世代で、日本では私のような年寄りと接する機会がなかったらしいんですね。私の話を『とてもためになる』と喜んで聞いてくれるんです。トラブルに巻き込まれた若者を助けたこともありますよ。」
水谷さんのところには、100人を超えるそんな若者達からしょっちゅう手紙が届く。「水谷さんと知り合って、老人に対する見方が変わり、見知らぬおばあさんにも、声をかけるようになりました」と手紙を書いてきた若者もいる。
また、ベトナム人の若者の友人も多い。ホーチミン市には、学校に通うだけのお金はないが、日本語を学びたいと真剣に考えている若者がたくさんいる。かつて日本語を教えていた経験もある水谷さんは、そういった若者達にボランティアで日本語を教えているのだ。「時には学資を援助することもありますよ。そのうちの1人の子は、無事大学を出て、今では、ある日系企業でエリート社員として働いています。」
先日、彼がホーチミン市内に家を建てた時は「私がここまでになれたのは水谷さんのお陰。水谷さんの部屋もありますから、いつでも住みに来て下さい」と言ってくれた。そういう人情の厚さが、日本との違いを一番強く感じる点だと言う。生活費が安くあがるので、経済的な面での不安がないのも、定年後を過ごす際には心強い点だ。水谷さんも、特に節約をしているわけではないが、「貧しい子供に経済的な援助をし、若者達とカラオケに行って、ベトナム国内を旅行し、毎年1回は日本に帰り、3週間程度過ごしますが、それでも年金の半分は使い切れずに残る」そうだ。
「でも何と言っても一番嬉しいのは、ベトナムでは、まだまだ私のような年寄りでも、人の役に立てる場、感謝してもらえる場がたくさんあるということです。定年後、引きこもっている同年輩の人たちにも、人生を取り戻しにベトナムに来ませんかと呼びかけたいですね。」
(ベトナムスケッチ2004年4月号) |