武井裕司さん(翻訳家)
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ベトナムの株式市場で一攫千金!
その夢は遠くなりましたがここで天職を見つけました |
プロフィール
たけいゆうじ:1969年生まれ。ロンドンで11年過ごした後、日本に帰国。慶応大学卒業後は野村證券に入社、ロンドンを拠点にディーラーとして働く。1994年に同社を退職し、ベトナム・ホーチミン市へ。現地日系企業、日本の出版物の現地コーディネーターなどの仕事をした後、2002年7月からフリーの翻訳家に。95年に結婚したベトナム人の奥さんと5歳になる息子さんとの3人暮らし。 |
「ベトナムで株式市場が公開されるってニュースを聞いてね、一山当てようと思って、勤めていた野村證券を辞めて、ホーチミン市にやって来たんですよ。それが1994年のこと。ところが、計画はどんどん延期されてしまい、結局本当に始まったのは2000年ですからねえ。ベトナムには散々振り回されましたよ。」そう語るのは、現在、ホーチミン市でフリーの翻訳家をしている武井裕司さん(33歳)。慶応大学在学中から、毎年旅行に来るほど東南アジアが好きで、海外で株をしようと考えた時に、思いついたのも東南アジアの国々だった。中でもベトナムの株式市場は、すべてがこれから始まる未知の世界。その可能性に惹かれるものを感じたのだ。「ベトナムに来て最初の5年は無職です。仕事で貯めた金で食いつなぎながら、株式市場が開かれるのをいまかいまかと待っていました。」
新聞でニュースをチェックし、「財務担当大臣が、これだけ明言しているから、今度こそは本当に違いない」などと期待するのだが、それは毎回裏切られ続ける。来越した翌年には、地元のベトナム人女性と結婚したのだが、奥さんには「いい加減に仕事を探したら」と言われてしまうし、ベトナム人の親戚や友人に株の話をしても、「チンプンカンプン。何か怪しい奴と思われて終わり」と、周囲の目も気になる。日系企業に就職したのを皮切りに、いくつかの仕事を経験した後、最終的に辿り着いたのが、在宅の翻訳家。「最後の勤め先を2002年6月に退職した際、『もう会社勤めはやめよう』と思いました。『では、自分に何ができるだろう』と考えて、たどり着いたのが英語力を生かした翻訳の仕事でした。」
武井さんはロンドン在住合計13年という経験を持ち、ネイティブスピーカーと言っても過言ではないだけの英語力の持ち主。「ただ、英語ができるだけじゃ、なかなか難しいんですよ。何か強い分野がないと。」武井さんの場合は、野村證券でディーラーをしていたので、経済や証券に関する専門知識がある。この2つが評価されて、日本の翻訳会社数社と契約してもらえることになり、以来、翻訳者として、充実した日々を送っている。「物価の高い日本の会社から報酬をもらい、物価の安いベトナムで暮らしているわけですから、日本で同じ仕事をしている人と比べると、恵まれた暮らしをしているんでしょうね。」
ところで、そもそもベトナムに来た目的だった株のほうはどうなったのだろう。「やっていますよ。2000年に市場が開いた際には、もちろん株を買い込みました。しかし、公開直後こそ株価は上がりましたが、その後は下がる一方。株取引で儲けるのは難しいですね。おじいちゃんになるまで、翻訳の仕事をしていることでしょう。今持っている株は、30年後、40年後に値が上がって、老後の資金になれば良いかなと思っています。」
(ベトナムスケッチ2003年9月号) |