河村きくみさん
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ベトナムとの出会いは
運命だったかもしれない |
プロフィール
かわむらきくみ:1970年、山口県生まれ。初渡越は1993年。日本語教師、真珠の養殖、電気部品を扱う会社など複数の日系企業の通訳を経て、現在は塩の輸出業の仕事(http: www.shio-ya.com)と、言語比較学を学ぶホーチミン市総合大学の大学院生。ホーチミン市、フエ、ニャチャン、再びホーチミン市と移り住み、在住10年。 |
ベトナムに暮らし始めて、もうすぐ10年を迎える女性がいる。河村きくみさん、32歳。さまざまな職を経て、現在はニャチャン郊外で取れる塩を日本に輸出する仕事のかたわら、ホーチミン市総合大学で言語比較学を学ぶ大学院生。「ベトナム人に職業を聞かれて『ban muoi』(塩を売る)と答えると、みんなすごく驚くの。ベトナムでは『塩を売ること』を『死ぬこと』に喩えるんですよ。私はそのことを知っていて冗談半分で話しているんだけれど、ベトナム人は『おまえはその意味を分かっているのか!』って一生懸命説明しようとするの。親切というか微笑ましいというか・・・」。ベトナム人に親しみを込めたこの第一声から、彼女がベトナム人社会に深くとけ込んでいる印象を受けた。
そんな河村さんが最初にベトナムへやって来たのは、ホーチミン市で日本語教師の職を得たのがきっかけだった。契約期間が終われば帰国するはずだったが、ベトナムでの生活は、思いのほか彼女にとって居心地のいいものだった。「もちろん、楽しいことばかりじゃありませんでしたよ。けれども辛い経験をしたときに、私はいつもベトナム人に助けられてきたんです。暮らし始めて早々にバイクに当てられケガをしたときは、見知らぬおばさんが熱を出した自分の子供を後回しにして、私を病院に連れて行ってくれました。かわいがっていた愛犬がいなくなって新聞で情報を求める記事を掲載したときも、たくさんのベトナム人から連絡をもらいました。どこの国へ行ってもいい人も悪い人もいる。でも私は、たまたま遭遇した悪い出来事だけでベトナムを嫌いにはなりたくなかったんです。むしろ、私を支えてくれた多くのベトナム人のおかげで、私は10年もベトナムで暮らしてこられたのだと思います。」
ベトナム人の温かい人柄に魅せられ、ベトナムを好きになっていった河村さん。そしてその後も、いくつかの職を経てベトナムでの10年が過ぎていった。けれどこれまでに、帰国をまったく考えなかったわけではない。「ひとつの仕事に区切りがつくと、そろそろ日本に帰国しようかなって迷うんですよ。でもそんなときに限って、なぜか新しい仕事が見つかったり、かけがえのない人と出会ったり・・・。私にとってベトナムとの出会いは運命的なものかもしれませんね。」
それはあながち大げさな話でもないようだ。実は河村さんは3月にベトナム人男性と結婚するのだ。今回の取材で話を聞いている間も、彼女の横には、優しそうなまなざしで見守るフィアンセが座っていた。そして帰り際に一言。「今は必要としている人がいるから、ベトナムにいるのよ」。彼のバイクの後ろにまたがる河村さんは、幸せに満ちたとびっきりの笑顔を見せてくれた。
(ベトナムスケッチ2003年4月号) |