ゲアン(Nghe An)省ヴィン(Vinh)で生まれたグエン・ティ・ミン・カイ(Nguyen Thi Minh Khai、1910−1941)。17歳で「タンヴィエット党/Dang Tan Viet」の結成に関わった彼女は、1930年に「インドシナ共産党/Dang Cong San Dai Duong」のメンバーとなり、国際共産党(コミンテルン)東方支部で故ホーチミン(Ho Chi Minh/胡志明)主席(当時の名は「グエン・アイ・クオック/Nguyen Ai Quoc/阮愛国」)の秘書を務めた。1934年にコミンテルン・モスクワ大会に参加、そこでレ・ホン・フォン(Le Hong Phong)と結婚。帰国後は1936よりサイゴン(Sai Gon)での革命活動を指導した。
1940年には宗主国だったフランス側に逮捕・投獄されるが、刑務所の中から革命指導を継続。だが「南圻起義/Nam Ky Khoi Nghia」失敗の後、ミン・カイは1941年8月26日、ホックモン(Hoc Mon)県ヨン(Giong)三叉路で銃殺刑となった。執行直前、囚人服を脱ぎ捨て「ベトナム共産党万歳!/Dang Cong san Viet Nam muon nam!」と叫び不屈の精神を示したという。
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