ハノイ北西部の有力な軍事指導者の娘であるチュン・チャック(Trung Trac/徴側、?〜43)が生まれた当時は、後漢がベトナムの徴税権を有していた。チュン・チャックは、妹のチュン・ニ(Trun Nhi/徴弐、?〜43)と共に40年、ベトナムの豪族をまとめ、自身が王としてベトナムの徴税権を握ることを強行した。後漢はこれを反乱と見なし、2万軍の大軍をもって対抗、3年の戦いの後に、チュン・チャックとチュン・ニは捕らえられて処刑され、43年にその首は洛陽へと送られた。
ちなみに「ハイ・バー・チュン」とは「チュン姉妹」という意味で、「ベトナムのジャンヌダルク」と例えられるほか、ふたりは双子であったとする資料も多い。チュン姉妹にまつわる伝承は様々で、「反乱のきっかけは、夫ティー・サック(Thi Sach/詩索)が太守トー・ディン(To Dinh/蘇定)に処刑されたため」、「戦いに敗れたチュン・チャックは、川に身を投じ自らの命を絶った」などがある。北部には姉妹を祭る寺が多くあり、旧暦の2月6日の命日には、特にハノイで祭りが多数催される。
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