中国・明朝の支配下にあった15世紀、ベトナム人は固有の言語の使用を禁ずるなどの同化政策や重税に苦しんでいた。これに反発し、1418年にラムソン(Lam Son/藍山)で決起した(藍山起義)のがベトナム北部タインホア(Thanh Hoa/清化)省の貴族の3男、レ・ロイ(Le Loi/黎利、1384〜1433年)。彼は10年に渡る抵抗運動を続けて明の永楽帝の勢力を追放し、1428年に前期レ(Le/黎)朝を興した。皇帝となったレ・ロイは均田制や科挙制を導入するなど行政と軍事の制度を充実させ、法律上は男女が家庭内で平等であることを定めるなどした。廟号レー・タイ・ト(Le Thai To/黎太祖)の名でも知られている。
レ・ロイ王と明との戦いといえば、ハノイ・ホアンキエム湖(Ho Hoan Kiem)の伝説が有名。明軍侵略の際、友人から剣を譲り受け、その剣で明軍を駆逐。ある日、湖に大きな亀が現れ、剣が天のものであると告げ湖の底へ持ち帰っていった。この伝説からこの湖は「ホアンキエム=還剣」と呼ばれるようになったというものだ。
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