旅とカメラ

　このコラムではいつも私が撮った写真を2枚載せてもらっているが、右ページの正方形の写真は、2004年、私の写真展「ハノイの純情、サイゴンの夢〜俺個人とベトナム国交樹立12周年記念」のためにローライフレックスという二眼レフカメラで撮影したもので、とくに思い入れが強い。

　ベトナムには初めて訪れたときからカメラを携行していた。最初は安い一眼レフカメラで、通称「ママカメ」という。若いママが赤ちゃんを撮るニーズに合わせて開発されたカメラという意味で、だから機能は削られ操作は簡単、安い。それで目に映るものはなんでもバシャバシャと撮っていった。それからちょっと写真について凝るようになり、コンタックスのG2なんかを持ってきたりしていた。だが、出版するベトナム本に口絵のページを入れることになって、改めて写真とカメラは関係ないと教えられた。私が両手いっぱいに抱えていったポジフィルムを編集者とデザイナーがライトテーブルの上でルーペを使って「これ採用」「これ不採用」とセレクトしていったのだが、採用になったもののほとんどが、私が初めてのベトナムで「ママカメ」で撮影した写真だったのだ。良い写真を撮るために必要なのは高級カメラでも半端な撮影技術でもなく、被写体を見つめる新鮮な眼と感受性である。

　2004年にローライでまたベトナムを撮ろうとしたのは、昔の感受性を少しでも取り戻したいと考えたからである。ご存じの方もいると思うが、二眼レフカメラはピント合わせからシャッタースピードと露出の設定など、すべて手動で行わなければならない。デジカメと比較するとクラクラするほど面倒くさいカメラである。でもこの面倒くささが、自分に「写真を撮っている」という行為を自覚させ、より被写体を求める心、撮影行為に熱中させる効果があると思ったのだ（その効果があったと思いたい）。
　ローライをぶら下げて撮っていると、発見もあった。ホーチミン市の人はかなりの写真好き・撮られ好きだとわかったのである。「撮らせてください」とお願いしてまず断られることがない。あとで数えたら33人中30人がＯＫだった。打率9割、東京なら1割にも満たないのではないか。しかもそれだけではなく、ローライのようなカメラが珍しいのか、バス停でバスを待っているとわざわざ寄ってきてしげしげと眺め、「1枚撮ってくれないか」と言ってきたりとか、「俺を撮れ」とリクエストされることも多かった。おっさんばっかり撮っても面白くないので途中からは断っていたぐらいだ。
　調子に乗った私はベトナム人の友人に4区のごちゃごちゃした地域まで連れて行ってもらい、そこの路地裏に突入していった。知人でも何でもない赤の他人の家の玄関口で
「日本人日本人観光観光写真いいですか写真いいですか」
　と連呼してずかずかと入り込んでいった。家主のおじいさんは怒りもせずお茶を勧めてくれ、私の年齢を聞き、かたわらの30歳ちょい過ぎくらいの娘を指さして、真顔でこう言った。
「これと結婚しないか」
　こんなことを言われたのは久しぶりだ。ベトナムに来た当初はたまにそんなふうに冗談めかして勧められることもあったが、しばらくご無沙汰だった。ベトナムに初めて来た当時の感受性を出来るだけ取り戻したいと考えていただけに、昔と同じ体験が出来たのには感激した。娘さんが笑ってお父さんの肩を叩きながら、満更ではなさそうなのも嬉しかった。

　でも、こうやって撮れるのはホーチミン市だけなんだよな。実はハノイでも同じことをしようとしたのだが、ホーチミン市とは真反対に、ほとんどの人から「ＮＯ！」を突きつけられた。「体重計り屋」さんの体重計に乗って、おばちゃんにお金を払ってから頼んでも「ダメ」というのである。ホーチミン市とハノイは言葉や習慣など、違うことは多いけれど、これもそのひとつなのだろうか。またひとつ、比較考察する対象が増えた。

（2008年6月号 | 2008年6月24日 火曜日 10:45 JST更新）