友人が建てた家は良い感じでサイゴン川のほとりにあった。川側に突き出たウッドデッキに佇んでいると、川面を撫でた風が頬を伝う。浮き草が眼下をゆっくり流れていった。 「ここ、死体とか流れてこない?」 「こないこない」 友人が笑いながら手を振った。 「じゃ、ひどい悪臭がするとか、雨が降ると浸水するとか」 「だからないって」 「つまらんな」 そんないちゃもんをつけたくなるくらい、素晴らしい佇まいだった。川の上流には鉄橋がかかっていて、夕暮れどきには落ちていく太陽を背にして列車がホーチミン市内に入っていくのが見物できた。ベトナムの列車は遅い。それがゆるゆるとでかい太陽を背にして橋を渡っていくのは、絵画のようだ。日本になくてベトナムで見て欲しくなるモノはいっぱいあるけれど、家もそのひとつだろう。ただ広いとか大きいとかだけじゃなくて、ベトナムの家は気持ちよい。ちょっと隣のステレオの音がうるさかったり、泥棒がやたら多いのだけは勘弁だけれどね。
しかしこのデッキを作るのにひと騒動あったそうだ。このデッキの支えには川の中にコンクリートの柱を20本ほど埋めたのだが、それを運搬してきた際に、トラックの運転手が運転を誤ってあちこちの家の壁を削ってしまったというのである。日本ならそれは運転手の責任になるのだが、ここはベトナム、発注者でお金をもっているはずの日本人の責任にしてしまえ、ということになった。しかも付近住民による「日本人の家建設反対署名運動」まで始まってしまった。 助けてくれたのは隣の奥さんだった。友人は工事に来る作業員たちの賄いの世話をこの奥さんに頼んでいたのだ。それで彼女は友人のトラブルを聞き、亭主に相談した。 その亭主が、まあ、近所ではコワモテで知られるおじさんだったらしく、若いのを2、3人連れて署名運動を展開している家を訪問してコンコンと事情をご説明申し上げたところ、ピタッと運動は止んだ。持つべき者はよい隣人である。
家の近所を案内してもらうと、周囲には豪邸が多かった。プールとテニスコートまで構えた邸宅がある。友人はそれを見たとき「スポーツクラブだ」と思って入会申請に行くと、さる国営大企業の社長のお家だったそうだ。そういえば私もドアを開けたら螺旋階段がある家は、ベトナムで初めて見た。ちなみに2番目に見たのは日本で超売れっ子の漫画家さんの家だ。 家の近くにはちょっとした規模の教会が建っていた。集まる信者たちをあてこんで、小さなマリア様などを売る店も並んでいる。日曜日に教会の扉が開いたときに中をうかがうと礼拝をする人々の姿があった。私がかつてホームステイをしていた家族も熱心なクリスチャンで、日曜日ごとに身なりを整えて教会に出かけていたし、食事も食べる前に必ず「お祈り」を捧げねばならなかった。あの熱心さを少しでも仕事に振り分ければ……いやいや、そんなこと言ってはバチがあたる。 友人宅の近くにある教会はその筋では有名らしく、サイゴン市内からタクシーに乗って「××教会まで」といってわからない運転手はいない。でもなぜそんなに人気があるのだろう。 「お祈りするとアメリカ移住がうまくいくと信じられているんですよ。だから移住したい人や予定がある人に人気があるんです」 世俗的というか、ずいぶん現世利益を打ち出した教会があったものである。日本で言うと交通安全の神社みたいなものか。デッキで友人と苦笑いしていると、教会の鐘が鳴り、川面を滑るように下っていった。
付記・その後、友人宅前の川に、本当に死体が流れてきたそうだ。 「でも川下に流れていっちゃったから大丈夫だよ」 本当にそれで大丈夫なのか。でもちょっとざまあみろと思った。
写真・文/神田憲行 かんだのりゆき ノンフィクションライター。黒田ジャーナルを経て独立。ベトナムでの日本語教師時代を綴った『ハノイの純情、サイゴンの夢』(講談社)ほか、アジア・ベトナムに関する著書多数。野球にも造詣が深く、2006年12月、「八重山商工野球部物語」(ヴィレッジブックス)を刊行
題字/黒田茂樹(楽書家・写真家) 「古民家ギャラリー いい樹なもんだ」主宰。http://www.geocities.jp/g_iikinamonda
(2007年12月号 | 2007年12月17日 月曜日 10:59 JST更新)
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