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ボランティアに賭け過ぎる青春! 大学を辞めるという友人につける薬はあるのか? |
こんにちは、29屋さん。私は日本の大学を休学して、2年間の予定でベトナム語を勉強している学生です。今回相談したいのは、同じ留学プログラムで一緒に来越した数人の同級生のうちの1人、P子(仮名)のことなのですが、突然「日本には戻らない」と言い出したのです。あと3ヶ月で帰国というこの時期の突然の宣言に、我々一同びっくり。去年の暮れから参加していたボランティア団体に残って働きたいと言うのです。どうせ日本に帰ってもロクな就職口はなさそうだし、何よりも「恵まれない人たちが私(P子)を必要としている」との使命感を感じているようで、学校も休みがちになる程のめり込んでいます。動機は確かに純粋なのですが、何か違和感があるような気がするのは私の気のせいでしょうか? ともあれ、何かアドバイスをお願いします。
PN:ガラスの亀(21歳♂ 学生)
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彼らがP子さんを必要なのではなく、 P子さんが彼らを必要としているという現実。 |
「勉強だけで実践が伴わなければ頭でっかち。その反対だと底が浅くて脆(もろ)い。」 といった意味の孔子の言葉がありましたが、辛抱の足りない若い衆の兆候として、満塁ホームランを狙いすぎる気があります。あらゆる世界において 「若き天才」 と呼ばれる人も、何の努力もなしに突然スターになったわけではありません。我々凡人がファミコンをしたり、買い食いをしたり、TVを観たりしている時間を使って自己を磨き上げてきたわけで、万人に出来る作業ではないからこそ光るわけです。そこまでいかなくても、どんな仕事にも下積み期間は必要。苦労の中から叩き上げられてこそ、初めてお金の取れる仕事、もしくは無料奉仕でもその価値のある仕事・サービスが出来るのであって、それがないまま突き進むのは腕の悪い板前がレストランを開くようなもの。自己満足につき合わされるお客さんはいい迷惑です。先ずは、彼女に何が出来るかを問うてみてください。
結局、P子さんが参加している活動が如何なる形にしても、「学業という日常」 から少しだけ逃避した 「祭りのような非日常」 に酔っているに過ぎないと言えます。「将来が不安な大学生」 という自分を見るのが嫌で、「恵まれない人のために一生懸命な若者」 という名札が欲しいだけなのであれば、それは結果的に相手を見下しながら利用している、ということに気づかなければなりません。
「愛や真心を武器に」 などというキレイゴトは意気込みを語っているに過ぎず、マザー・テレサのような苦闘を乗り越えた上での博愛は、机上の理想論からでは得られません。
モノをばらまくのは一時凌ぎの貰い物に過ぎませんが、技術や教育は相手を真に自立させることが出来るはず。単純作業の充実感を「生き甲斐」 などと勘違いせず、時には激しく闘いながらでも、相手と自分を高めていく。そんな未来を築けるような活動をP子さんが将来出来るよう、私も心から祈ります。手段は一つだけではないはずです。
【今月のまとめ】
けわしい山に登るには、最初からゆっくりと歩くことが必要だ。
by
ウイリアム・シェイクスピア
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(2004年7月28日 9:12更新) |