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「なぜ、オマエに? 見知らぬベトナム人から、今年もまたお年玉をタカられる!?(泣)」 |
29屋さん、新年おめでとうございます。まもなく2度目の旧正月をベトナムで迎えるボクなのですが、ひとつ悩みがあります。去年の旧正月は、ヒマにまかせて街をウロウロしていたのですが、どこへいっても「お年玉くれー」とねだられて、大変困りました。聞いたところ、ベトナムでは「立場が上」で「金持ち」の人がお年玉を配るのは「当然の義務」であり、あげないで済まそうとするのは「たいへん野暮な行為にあたる」というのです。確かにボクは、ここでは一応「先生」の立場だし、食うに困っているわけでもない。だからといって、時々行くカフェの店員や、たまたま乗ったバイクタクシーにまで要求され、「あげないよ」と言うと、露骨にケチ呼ばわりされるのは納得がいきません。今年は、どうふるまえばいいでしょうか?
PN:カツと思うな、中身はハムよ(23歳:♂ 日本語教師・滞在1年2ヶ月目)
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「冗談なのか、マジなのか。『見極め』と『開き直り』で、強行突破するべし!」 |
お年玉の起源は、唐の玄宗皇帝の時代。宮廷の女官たちが元日の芝居見物で投げる「おひねり」用に年末ボーナスをもらえる制度があり、それが民間でも形を変え、行われるようになったようです。ちなみに日本の場合は神様に供えてあった餅を丸くして下げ渡したものが「玉」なのだとか。
それはそうとして、ここベトナムは中華文化圏の国。「お金=幸運の象徴」という感覚は平均的に見て日本人よりも根強く染み付いているのは間違いありません。しかし、「それにしたって要求があからさますぎやしませんか?」と貴男が思ってしまうのも無理はない。日本の子供であればモジモジと仕草や表情でアピールするところを、そのものズバリで「くれ!」とリクエストしてくるわけですから、可愛げのないことこの上なしと感じてしまうのは、当然の反応であるとも言えます。
しかし、よくよく観察してみると、ベトナム人同士でも「お年玉くれ〜」と言い合っている場合があるし、それが「親しい友達に対する定番ジョークなのか、それともダメもとでブシツケな要求をしているだけなのか」というのは、当事者間の力関係や財力・社会的地位によって決まるようです。「外国人だからタカられるんだ」という被害者意識が妥当か否かは、貴男の普段の生活スタイルや友人との付き合い方を振り返って判断してください。
店主の見聞きしている範囲内では、当地の日本語教師の方々はつつましやかな生活を送っている方が多く、たいへん失礼ながら、教え子たちのほうがよっぽどお金を持っていたりする場合だってあります。ご同僚との兼ね合いを考えると、たとえ貴男が実はお金を持っていたとしても、普段から湯水のごとく浪費しているとは考えにくい。ということは、いずれにしても、貴男は周囲から「外国人=皆、金持ち」ではなく、「外国人にもイロイロあるんだなあ」と思われていると考えるのが自然ではないでしょうか?
それでも敢えて尚、貴男からナケナシのお金をせびり取ろうと言う人がいれば、「@貴男をからかっている Aお正月に関係なく、年中誰にでもタカる癖がある Bよっぽどお金に困っている」のうちのどれかだと思って、適切に対応するのがいいでしょう。ちなみに、当店のスタッフに聞き取り調査をしてみたところ、いずれの場合も一番角が立たない断り方は「コンコーティエン(お金ないよ〜)」とのこと。逆に一番よくないのは、「小銭や外国のお金(USドルや日本円を除く)を渡す」、「お金ではなく、物で済ませる」といったその場しのぎ。あげると決めたら、1万ドンでも2万ドンでもいいので、なるべくきれいな紙幣を、ポチ袋に入れて笑顔と共に渡しましょう。
なお、小さい子供がいる家を訪問する際は、縁起物だと思ってきっちり用意していくほうが良いようです。子供を大事にすることは万国共通のマナー。苦しいフトコロの中から奮発して出したお金は、実際の価値以上に貴男の「オトコ」を上げ、今後のベトナム生活をより良いものとしてくれるでしょう。念のためですが、パチンコ玉を落下させて「おとしだま〜」という化石ギャグはやめておいてください。確実に友達を失いますので(いろんな意味で)。
【今月のまとめ】
「貧乏人とは、『多くを持たざる者』のことではなく、『多くを欲する者』のことをいう」
by スウェーデンのことわざ
オフィスジパンング・今日の弁当
29屋さんの日記、他ベトナムの宅配弁当店オフィスジパングの弁当ニュースなど。
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(2007年2月号/2007年2月13日 火曜日 10:32 JST更新) |