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「私を怒らせる彼らが悪いのか、それともナーバスな私が悪いのか…?」 |
29屋さん、はじめまして。赴任して8ヶ月、最大のピンチです。日本から来たばかりの頃は、人々の笑顔や町の活気に明るいものを感じ、何もわからないながらも楽しく生活していました。ですが、最近片言ながらもベトナム語がわかるようになると、ニコニコしながら私の悪口を言ったり、買い物の際に目の前で私からボったくる相談をしているのがイヤでも耳に入ってくるようになりました。こんなに裏表がある人たちを単純に善人と思い込んでいたことが悔しく、以来、些細な言動に対しての嫌悪感が強まり、日常生活が大変苦痛に感じられます。最近はタクシーやレストランなどで無礼な対応をされると、反射的に声を荒げてしまうこともあり、後味の悪い思いも度々。どうすればいいでしょう?
PN:怒り屋超介(27歳:♂ 地方メーカー駐在員)
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「たとえ泣きながらでも、尚。貴男は苦しみの中から立ち上がらなければならない」 |
ダニエル・キイスの名著「アルジャーノンに花束を」において、幼児並みの知能しか持たなかった32歳の主人公チャ−リィ・ゴードンは、ある手術を受けた後、徐々に知能が高まって超天才になっていく。そして、その先にあったのは、今まで「やさしかった」パン屋の同僚たちが、実は自分をバカにしていたり、俗物だったりすることが理解できてしまうという悲しい現実でした。
あまりにも有名なこの物語を例に出すまでもなく、成長の過程において今まで信じていた「何か」を失うことは当然の通過儀礼であり、人間にとって必要な傷であると私は考えますが、貴男の場合、どうやら問題の根は別のところにあるような気がします。ズバリ断定すると、「ベトナム人に"天使"であることを要求する"傲慢な繊細さ"」と、「弱い立場の客商売相手にやり過ぎてしまう"ナイーブな冷酷さ"」の葛藤を、貴男自身が上手く消化し切れていない。つまり、誰かをぶん殴ってしまうか、貴男自身がぶっ壊れてしまう前に、自分のリーチに合わせた攻撃と防御の方法を、負け戦を重ねながらでも、じわじわと作り上げていく覚悟が必要なのです。
まず、国籍・人種・男女・老若・貧富の差異を問うべからず。そもそも人間の心の中には「他者よりも優位でありたい=差別したい」という欲求が備わっており、かろうじて道徳や法律などがそのブレーキになっているのです。しかもそれは、同国人同士であれ異文化間であれ、無くなることはありません。「些細な金額で人の心を踏みにじるなんて…」と巷ではよく言われますが、それはベトナムと日本の物価の違い。貴男にしてみれば小遣い程度でも、彼らの月給や年収に相当する大金であることもあるはず。生理的にも理性的にも、「その違和感は越えられる壁ではない」という諦めを、まず持ってみては如何でしょうか。
金銭と恋愛の泥沼に国境はなく、親しき仲と言えど、付け入る隙を見せたり与えたりしては、油断する方が悪いとさえ言えます。盗まれたり壊れたりして困る物の自己管理も、「大人の仕事=自己管理」の内であるからです。さらにもう一つ。聖帝サウザー@『北斗の拳』ばりに、「こんなに苦しいのなら、愛など要らぬ〜!」と、ナイフみたいに尖って触るもの皆傷つけていく。そんなツッパリ硬派な生き方も一つの自己防御かもしれませんが、傍迷惑の上、本人が思うほどカッコよくはありません。
もう故人ですが、伝説の漫才師と呼ばれる芸人さんで、飲食店スタッフや若手芸人などの立ち居振る舞いが気に喰わなければ、大暴れすることで有名な人がおりました。相手を思っての叱責と、単なるフラストレーションを晴らすための暴力を混同しているのは論外ですし、自分より立場の弱い相手にだけ出来る「傍若無人」というのは、結局、「卑屈」の裏返しでしかないのです。敢えてバカにされ続ける必要はありませんが、誇りを保ち毎日を楽しく過ごせるスタンスは、一つだけではないはず。しばらくは刀傷だらけになるかもしれません。それでも尚立ち上がり、望みのない戦いを続ける、悲しくも美しい貴男の姿を、私は心から応援したいと思います。
【今月のまとめ】
「赦(ゆる)しとは、スミレが己を踏みにじった踵(かかと)に残した芳香の如きものである」 by マーク・トウェイン
オフィスジパンング・今日の弁当
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(2005年11月11日 金曜日 8:37JST更新) |