No.88 有機野菜農場経営
フランス軍の将校だった父の転勤で、私が生まれてすぐにダラット(Da Lat)からニャチャン(Nha Trang)に移ったんだ。小学校から授業は全部フランス語でね、週に4時間だけベトナム語のクラスがあったよ。
高校からはダラットに戻って、グランリセ・エリシン(Grand Lycee Yersin)っていう有名校に通ったんだ。それからダラット大学に入って、地理学と生物学を勉強した。
ところが卒業後すぐに南北が統一されて、卒業証書も単なる紙切れになっちゃった。まともな仕事がないから鉄道員をやってたんだけど、家族がフランス側の人間だった過去がばれて2年でクビさ。
それでブルドーザーの運転手を経て、ラムドン(Lam Dong)省の野菜会社のドライバーになった。野菜なら専門だからね、だんだん重用され始めて、研究所に移ったのさ。そしたら、研究員に学歴がないのはまずいと思ったのか、政府が卒業証書をくれたんだよ。
最初はキャベツの種の国産化、次はカリフラワーとラディッシュの種。ラディッシュは1年で160トンもの種が作れるようになったんだよ。そうやって研究を進めるうちに、フランス留学のチャンスが来てね、1989年にフランスに渡ったんだ。そこでアーティチョークの遺伝子研究で博士号を取って1995年にダラットに戻って来たのさ。
アーティチョークは1939年からダラットで作られていたんだけど、当時の種はもうなくてね、今作られている紫と緑の2種類は、私がフランスから持って来た37種のクローンの内の2つだよ。あとの35種はうまく適応しなかったけど、2つも栽培できれば上出来だね。
その後、花農場のディレクターを経て、1999年に有機野菜栽培の会社を作った。それが2000年にカナダの企業との合弁会社になって今に至ってるんだ。
ダラット郊外の山の中に10ヘクタールの敷地があってね、そのうち2ヘクタールが屋外農場、2ヘクタールがハウス農場になってる。そこで105種類の野菜やハーブ、コーヒーなんかを作ってるよ。ほとんどがベトナム国内向けだね。出荷先は5つ星ホテル、ホーチミン市やハノイのレストラン、ベトナム航空の機内食、あとは個人宅配もやってるよ。
有機栽培にはきれいな空気と水が欠かせない。だからホントは10ヘクタールじゃ足りないんだ。森に対して10%程度の耕作地にしないとだめなんだよ。森が空気や水を守ってくれるからね、そういう環境が整えば、害虫や病気もぐっと少なくなるんだ。
だから将来は、あと100ヘクタールの森を政府から借りて、約14ヘクタールで耕作するつもりなんだ。残りの敷地は、エコロジー教育やオーガニック環境を公開する観光施設に利用したいね。バンガローを建てて、そこで有機栽培が体験できる施設を作って少しずつエコロジーの考え方をベトナムに普及させていきたいと思っているんだ。もちろんそれがビジネスに繋がるようにも考えなきゃいけないんだけどね。
文・構成=笹原亮(ジャアク商会)
イラストレーション=mik ad design
(2009年1月号/2009年2月1日 日曜日 14:34更新)
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