カイトサーフィンスクール
ボートピープルとして渡ったアメリカでロボットの電気回路の設計をやってたんだ。22年間、まじめなサラリーマンだったよ。
その傍ら、趣味でウインドサーフィンを始めたのが1988年。2001年にはカイトサーフィンも始めた。カイトの方が易しいんだよ。カイトサーフィンなら1ヶ月でインストラクターになる人もいるくらいさ。
ベトナムに戻って来たのは98年。そのときは旅行だったんだけど、アメリカ人に勧められてムイネーに来てね、すっかり気に入っちゃった。なにしろここは風がいいんだ。ウインドサーフィンもカイトサーフィンも、いい風が吹かないと話にならないからね。
それでまたアメリカに戻って仕事をしてたんだけど、2003年にリストラされちゃった。その後、仕事を探しながらカイトサーフィンを教えているときに、突風で飛ばされて、コンクリートの壁に激突したんだよ。
普通はそんなことにならないんだけど、たまたま生徒のハーネスが外れなくて、それを外そうとしてた時だったから、対処できなかったんだ。
それで意識不明で入院さ。1週間目に医者が兄を呼んで、生きているけど死んでいる状態だから、生命維持装置を外すかどうか決めるようにって言ったらしい。兄はもう少しこのままで、って言ってくれて、それで3ヶ月で意識が戻った。奇跡に近いらしいよ。
1度死んだ人生、って思ったからね、アメリカを出てムイネーに来た。それからいろんなリゾートでインストラクターをしたんだけど、どこもいい商売にならなくてクビ。5回くり返したとき、嫌になっちゃってね。そしたらたまたま道で出会った知り合いが、この辺で1番大きいリゾートを紹介してくれたのさ。
面接のとき偉いさんに、「なんで最初にここに来なかったんだ」って聞かれたんだ。1番大きいのに、プライドを傷つけられたんだな。しょうがないから、正直に「大きすぎて怖かった」って言ったら、逆に信用してくれた。
それからはとりあえず順調さ。ドイツの大きな会社がスポンサーについてくれたし、ヨーロッパの有名なスポーツ関連の旅行代理店も定期的に客を送ってくれるしね。今じゃあウインドサーフィンが60セール、48艇。カイトサーフィンは80カイト、40艇の規模になった。今年はさらに新しいのを20艇以上導入するつもりさ。
スタッフは40人近い。外国人も10人いて、彼らはほとんどインストラクターだね。ベトナム人スタッフの中には、カイト1つに1人ずつ、流されたりしないように監視するだけのスタッフもいるから大人数なのさ。
今はほとんど教えることもなくて、メールをしたりバーで話したりして、ネットワークを広げている。遊んでるようだけど、これも大事な仕事なんだよ。
文・構成=笹原亮(ジャアク商会)
イラストレーション=mik ad design
(2008年4月号/2008年4月23日 水曜日 10:17 更新) |