ヤギ鍋屋
高校を卒業するまで北部の生まれ故郷に住んでいたんだ。それからウクライナに行ってね、ダムの工事現場で7年間働いた。そこで言葉も覚えたし、少しはお金も貯まった。だからハノイに家を買って仕事を探したんだけど、工事現場の単純労働しかできないからね。なかなかいい仕事がなくて、実家の農業を手伝ってたんだ。
そんな時友人が「ホーチミン市ならいろんな仕事がある」って言うから家を売って出てきたんだけど、やっぱりそんなにいい仕事はないんだよね。でも妻は妊娠してるし、なんでもいいからって選んだのがヤギ鍋屋。1年くらいマネージャーみたいなことをしているうちに、仕事が面白くなってきてね、それでノウハウを覚えて独立したんだ。
だけど資金がないから、空港裏の家賃の安いエリアで開業さ。当時は電気も来てなくて、空港内にいた軍隊の友人に頼んで、こっそり分けてもらったりしたよ。ヤギ鍋も今でこそ4万ドン(約300円)で売ってるけど、当時は1万5000ドン(約110円)だったね。でも3年ほどで借家を買い上げて、3階建てを建てた。1階を店にして、あとは住居だよ。
仕入れは毎日、子供を学校に送った後、肉専門の卸売市場に行くんだ。ヤギ肉は5kgくらい、その他ウナギや貝、牛肉など全部で15kgくらい仕入れてくる。お客は1日50人くらいだね、あとデリバリーが10〜20軒。ほとんどが常連客さ。それを常駐スタッフ5人と、夜だけ来る3人でこなしているんだよ。
客単価は3万ドン(約230円)くらいかな?この辺は単純労働者が多く住んでいるエリアだし、道だって舗装されてないから、値段はそんなに高くできないんだよ。それでも20%は利益が出るから、暮らして行くには十分だし、あちこち土地を買って投資する余裕もあるよ。
開業して10年以上になるけど、最初の頃は客同士のケンカが多くて大変だった。貧乏で教育レベルの低い人も多いからね、酔うとすぐにケンカが始まる。仲裁に入るんだけど、弱すぎるとなめられるし、強く出過ぎると2度と来なくなっちゃうし、加減が難しいんだよ。それでも、あまりひどい客には断固として「立ち入り禁止」宣言をしてる。そうやっているうちに客の方もだんだん店の方針が分かってきて、今では滅多にケンカも起きなくなった。それだけでも大分楽になったものさ。
そんな風に毎日、朝10時から夜10時半まで店をやっている。昼間はそんなに混まないけど、夜は50席が満員になることもある。それにこれからはこの辺も開発が進んで行くだろうから、将来性はあるんだよ。
だけどこの商売も結構大変だからね、将来は引退して小さなホテルをやる、っていうのが夫婦の夢でね。その時には持っている土地が高く売れるといいな、と思っているんだ。
文・構成=笹原亮(ジャアク商会)
イラストレーション=mik ad design
(2007年5月号/2007年5月30日 水曜日 10:36 更新) |